偏見報道に洗脳されない為に

国民は、戦後60年にも及ぶ自民党腐敗政権に蔑にされてきた今日、も~騙されてはいけません。自民党が政権に居座る限り腐敗政治は無くなるまい。貴方の一票で政治は変わります、皆して選挙に行こう。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」20

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第20回(2007.2.9) 歴史的岐路である「今」を生きる、われわれ日本人

 今年は例年にない「暖冬」で、雪不足や各種野菜の値段の落ち込みなど、各地でさまざまな影響が出始めている。まさに“乱”の兆しを感じる今日この頃だ。
 だが、これは政界についても言えよう。柳沢厚労相の相次ぐ「失言問題」。しかし、これは単なる失言というよりは、むしろ小沢民主党代表の言にあるように、安倍内閣の“体質”を示すものとも言える。というのも、安倍内閣は心情的に岸元総理から発し、かつての岸氏は、「国家社会主義」のナチス・ヒトラーに通底していたからだ。このたびの柳沢氏の発言は当然、この種の官僚主義的・権威主義的脈絡で考えられよう。「官僚政治家」とは、むろん人にもよろうが、かくも傲慢かつ無神経で厚顔な存在なのだろうか。

続きを読む »

スポンサーサイト

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」19

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第19回(2007.2.2) 小沢一郎という“精神”

 1月29日(月)、NHKテレビで小沢一郎氏による「代表質問」を視聴した。40分間の演説を、私は、決して長いとは感じなかった。むしろ、もっと視聴したいと思った。それほどに、魅力と説得力に満ちた演説内容だった。
 なぜ、それほどまでに私が感動したかと言えば、それは、与党議員の激しい野次や怒号のなか、理路整然と語る小沢氏の演説には凛とした威厳があり、何より“言霊(ことだま)”が感じられたからだ。それに、彼自身の“肉声”や“ホンネ”が終始感受できたからである。安倍氏の「官僚の作文」演説と異なり、小沢氏の言葉そのものに“真実と迫力”が感じられた。
 「憲法改正」か「格差是正」か――安倍総理は「二者択一ではない」と逃げたけれども、この言葉こそ、「論戦を正面から受けて立つ覚悟だ」という彼の言葉がいかに空々しい虚言かということを明白にしている。  同日、柳沢伯夫厚労大臣の「女性は子どもを生む機械」発言に対する謝罪表明もあった。だがこれは、かつてヒトラーやナチス・ドイツが公言していた言葉である。弱者や女性に対する、酷薄な差別感なしには言えない言葉だ。政治家として、“驕り”はなかっただろうか? むしろ大臣や政治家以前に、一人の人間として問題とすべき発言である。
 しかし柳沢氏がもともと、厚労大臣として適材かどうかの問題もある。つまり、安倍氏の人物認識や「任命責任」の問題である。自民党総裁選挙の日、安倍氏の隣にいて、安倍氏の党内票が思ったほど伸びなかったのを知り、思わず“アチャー!”とばかりに顔をしかめたのが、当時の安倍派の選挙参謀だった柳沢氏である。厚労大臣人事も、佐田玄一郎氏の場合と同様、論功行賞の所産である。安倍総理の短慮と独断の責任は、非常にに大きいと思う。

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」18

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第18回(2007.1.26) 「変われる」小沢・民主党 vs 「変われぬ」安倍・自民党

 今月21日(日)の宮崎県知事選挙で、元タレントのそのまんま東(東国原英夫〈ひがしこくばるひでお〉49)氏が、川村氏や持永氏に大差をつけて初当選した。この報せに接し、参議院自民党幹事長・片山虎之助氏は、「特殊な例だが、自民党も反省しなきゃいかん」と語った。これに対して、鳩山由紀夫氏(民主党幹事長)は、「無党派層の政治離れが進んでいるのは事実である」と、明確に述べた。
 どちらが、より優れた分析だろうか? 私は、明らかに鳩山氏であると思う。たしかに、政治に“魅力”がなければ、民心は離れる。だが、政治家が真摯に国民に関わるかぎり、人々は必ず応えてくれると思うのだ。
 このたびの宮崎県知事選挙でも明らかになったように、有権者はつねに政党や政治家、あるいは政治を語る者のタテマエではなく、“ホンネ”を求める。政治家は、“希望を語る”と同時に、それをあくまでホンネで語らなければならないと思う。25日(木)から始まる通常国会。国民が真に関心と期待の持てる論戦と、民主党の奮起を求めたい。

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」17

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第17回(2007.1.19)「希望」の持てる社会づくりを!


 1月15日~16日の両日、民主党の定期党大会が開催された。小沢代表の「私の政治生命をかけて戦うことは、私の真情そのものであり、揺るぎない決意なのであります」との言葉が、胸底に響く。まさに、「時は、今」なのである。

続きは「続きを読む」をクリック

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」16

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第16回(2007.1.12) 良き指導者は、良き人材を集める

 今月7日、8日に、日本各地で成人式が催された。残念なことに、今年も一部の新成人が暴徒化し、出席者や主催者の顰蹙を買う出来事があった。だが、そんな中でも、実にさわやかな成人式もあった。
 とりわけ印象的だったのが、7日、北海道夕張市で行われた、新成人たちによる“手作りの成人式”だ。91名の新成人が出席したが、市からの例年の補助金60万円は全額カットされ、残ったのは繰越金の1万円だけだった。だが新成人たちは、自分たちの努力と協力で会を企画し、立派な成人式を取り仕切った。交流会もたいへん盛り上がり、明るく快活な笑顔が目立った。新成人たちにとって、生涯のいい思い出になったことだろう。
 全国から、たくさんの励ましのメッセージや236万円もの寄付金が集まった。今回は20万円のみを使用し、残りは次の新成人たちのために繰り越すと言う。そのテレビ・ニュースを観ていた妻が言った。「日本も、捨てたもんじゃないね」と。私も、「まったく!」と相槌を打った。

本文は「続きを読む」をクリック

皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。 
今日もクリックの程、宜しくお願いします。
政治経済全般   社会経済全般   オヤジ    シニア  
   13位       12位       3位       1位 

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」15

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第15回(2007.1.5)「愚直さ」も、一つの美徳なり

 新しい年が明けた。元旦の日、テレビのニュースで、民主党小沢代表が自宅で開いた党所属議員との新年会の様子が報じられた。小沢代表の笑顔が印象的だった。正直、“この明るさは大事だ”と思った。苦しい中でこそ、人間は明るくありたいものだ。この新年会の席上、小沢氏は、「参院選は、本当に生きるか死ぬかの戦いだ」と述べた。小沢氏のこの乾坤一擲の決意を、われわれも肝に銘じたい。また、この度の民主党の「生活維新」のコマーシャルも出色の出来映えだ。“民主党の脱皮は、日本の脱皮だ”と思う。皆さんが、良いと思われたことをどんどん試されたらいいと思うのだ。

本文は「続きを読む」をクリック

皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。 
今日もクリックの程、宜しくお願いします。
政治経済全般   社会経済全般   オヤジ    シニア  
   13位       10位       3位       1位 

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」14

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第14回(2006.12.29)神仏を畏敬する政治指導者

 今年(2006年)も、あと3日で終わり、新しい年となる。新年を前に、いろいろな思いがよぎる。反省することや思いを新たにして決意することなど、さまざまである。年末を控え、大掃除に余念のない方々も多いと思う。
 テレビのニュースでは、先日の本間政府税制調査会長に続いて、佐田玄一郎行政改革担当相の辞任が報じられた。安倍首相の「任命責任」や指導力が問われている。安倍総理の恣意的で、短慮、かつ一面的な税制調査会長の人選や、安倍内閣誕生の「論功行賞」による閣僚登用に対する国民の目は厳しい。とにかく、“器”でない人物を政府の要職に据える安倍総理の、その日本国指導者としての“器”そのものが問われている。

本文は「続きを読む」をクリック

皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。 
今日もクリックの程、宜しくお願いします。
政治経済全般   社会経済全般   オヤジ    シニア  
   12位       10位       2位       2位 

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」13

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第13回(2006.12.22)世界の人々に愛され、信頼される日本の政治指導者

 安倍晋三氏が日本の総理大臣になって3カ月が経った。安倍内閣初の臨時国会も、12月19日の午後、閉会した。
 安倍政権の支持率は、現在46%弱である。しかし、支持率以前の問題として、このたびの政府税調会長・本間正明氏の処遇などをめぐって安倍総理の分別や指導力が問われている。彼に真に指導者らしい指導力や魅力を感じられないのは、決して私だけではないだろう。私は、安倍氏と、沖縄県知事の仲井真氏に何か“共通するもの”を感じる。 
 それは、両者は現在の地位を、自らの努力でがむしゃらに勝ち取ったとは、とうてい思えないのだ。換言すれば、単に自民党内や沖縄県内の打算や“空気”が、二人を指導的な立場に押し上げただけのような感じなのだ。つまり彼らは、ただ周囲の人々が用意した御輿に乗っかっているだけのような気がする。

本文は「続きを読む」をクリック

皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。 
今日もクリックの程、宜しくお願いします。
政治経済全般   社会経済全般   オヤジ    シニア  
   12位       10位       2位       2位 

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」12

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第12回(2006.12.15) 幻想を持たない理想主義者

 今年一年を表現する漢字は、「命」となった。秋篠宮悠仁(ひさひと)親王ご誕生をお祝いする思いの他に、いじめによる自殺などを反映している、とテレビで報じていた。だがそれは、単に人間の「命」だけの問題だろうか?

本文は「続きを読む」をクリック

皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。 
今日もクリックの程、宜しくお願いします。
政治経済全般   社会経済全般   オヤジ    シニア  
   11位        7位       2位       1位 

続きを読む »

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」11

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第11回(2006.12.8)

小沢一郎氏とチャーチル――小沢氏も、「アングロサクソン」の信奉者か?

 若い人々は、そうでもないかも知れないが、多くの日本人にとって、12月(師走)に入って思い出されるのは、何より「真珠湾攻撃」と「赤穂浪士の討ち入り」ではないだろうか。今日、12月8日は、真珠湾攻撃の日だ。 
 私事だが、ハワイに研究目的で初渡航した日(1993年8月25日)、私は機上から真珠湾を見て、思わず息を呑んだ。眼前のパールハーバー(真珠湾)は、まるで阿古屋貝のような半円形の湾で、右前方に真珠が鎮座したような、小さな陸の塊が丸い小島の形で張り出していたのだ。
 1995年、ホノルルで、終戦50周年を記念する式典があった。その式典に参加した元大日本帝国海軍の軍人で、真珠湾攻撃隊員の一人だったM氏に、私は、こう質問した。「真珠湾攻撃の際は、ワクワクと胸躍るようなお気持ちでしたか、それとも極度に緊張しておられましたか?」と。すると、M氏は、私にこう答えられた。「普段となんら変わりませんでした。ただ、命令を実行するのみ、と考えていました」と。確かに、そうだったかと思う。
 その後、私は、広島に原子爆弾を投下したエノラ・ゲイの乗組員が、「われわれは、ただ軍の命令に従っただけだ」と答えていたのを思い出した。軽々には論じられないが、戦争には、そのような冷徹な側面があると思う。それだけに、一国の政治指導者(具体的には、総理大臣)の資質や理性が問われよう。
 「防衛庁」から「防衛省」への昇格が現実化していく今日、わが国の首相が、一体いかなる戦争観や人間観、それに世界観を持っているかが重要である。とりわけ、そこでは、日本国の“自主性や独立性”が強く維持されていなければならない。わが国が安易にアメリカの「一部」のような軍事行動をとることは、断じてあってはならないと思う。
 歴史上、先述した「真珠湾攻撃」を、誰よりも喜んだ英国の政治指導者がいる。彼は、結果的に、アメリカがドイツとの世界大戦に参戦せざるをえなくなると考えたのである。当時、英国は、ドイツに対して明らかに劣勢だった。そのため、どうしてもアメリカの参戦が不可欠だった。その指導者こそ、ウィンストン・チャーチル(1874~1965)である。
 このようなチャーチルではあるが、彼は、当時の大英帝国にとって、同国を守り抜くためには、どうしても不可欠の政治指導者だったと言えよう。

 ところで、小沢一郎氏に似た政治指導者を世界に求めれば、それは、一体誰だろうか? 私は、英国のチャーチルではないかと思う。彼は1900年、保守党員として初当選した。弱冠25歳だった。その後、植民地次官(31歳)、商務長官 (33歳)、海相(36歳)、軍需相(42歳)、陸相(44歳)、植民相(46歳)、蔵相(49歳)などを歴任する。 このまま、彼は、首相になってもおかしくなかった。
 だが、1930年から、彼が首相に選出される1940年までの10年間、彼は政界の表舞台から姿を消した。理由は、大英帝国の、ドイツとインドに対する「融和主義」に断固反対したためである。この間は、後世の史家によって「政治的荒野の10年」と呼ばれた。これは、小沢氏の長い野党生活にも通じよう。
 しかし、第二次世界大戦に突入したばかりの大英帝国の国民は、チャーチルの再登場を求めた。彼なしには、ナチス・ドイツを打ち破り、大英帝国を勝利へとは導けなかったからである。首相になる前に彼は、まずチェンバレン政権の海相として、政界に返り咲いた。当年、64歳――まさに、現在の小沢氏と同年である。明くる1940年、彼は英国首相となった。65歳のチャーチル政権の船出である。
 私はある日、母に訊ねた。「お母さんは、チャーチルについて、一体どんな印象を持ってる?」と。母は答えた。
 「チャーチルについては詳しくは知らないけれど、彼は愛嬌があって、“絵になる人”だったと思うよ。戦時中、スターリンとルーズベルトは、徹底して嫌いだったけれど、この二人ほど憎らしく感じられない人だったね。でもチャーチルは、三人の中で、一番老獪だったかも知れないね」と。
 “危機の宰相”という言葉がある。戦争や、それに準じる混乱の中、国民をよい方向へと導ける政治指導者のことを言う。私は、第二次世界大戦において、あの厳しい状況にあった大英帝国を勝利へと導いたチャーチルこそ、この“危機の宰相”という言葉に相応しい指導者だったと思う。
 これが、例えばイーデンやアトリー、あるいはマクミランといった戦後の英国首相が戦時中のイギリスの指導者だったとしたら、あれほどの勝利を収めることはなかったであろう。チャーチルであったればこそ、当時の大英帝国を救えたのだと思う。彼であればこそ、ヒトラーのナチス・ドイツに勝利し、アメリカのルーズベルト大統領やソ連のスターリンと互角に渡り合えたと思うのだ。その意味で、チャーチルは、まさに乱世が求めた“救国の英雄”だった。
 私は、今日の小沢氏は、戦時下のイギリスを救ったチャーチルのような存在ではないかと思う。
 今後、「北朝鮮問題」に端を発する東アジア地域での動乱、アメリカの対イラク政策の行き詰まりと、イラクからの米軍撤退、アメリカ型・投機資本主義の崩壊とそれに伴う混乱、加えて国内での格差の拡大による社会不安の増大など、日本内外にはきわめて厳しい状況が現出しよう。それらは、旧態依然たる自民党政権では対応しきれないと思う。 
これらの諸問題に対処できるのは、以前からそれらを十分に把握している小沢氏の高い見識と指導力、それに若い民主党議員の真摯な取り組みと協力態勢であると思うのだ。
 小沢氏もチャーチルも個性が強く、若き日は人のねたみを買い、かつ敵も多かった。だが、戦争その他で国内が極度の混乱状態にある時、両者のように怜悧であり、同時に強い信念と不屈の闘志を持った政治指導者が真に求められると思う。
 とはいえ、小沢氏は、決して“独裁”を好む人ではない。むしろ彼は、徹底した「議論」をこそ求める人である。その意味で彼は、真に“民主主義を愛する人”だと思うのだ。

 周知のごとく、近代民主制には、二つの型がある。アメリカ型の大統領制とイギリス型の議院内閣制である。安倍総理は、前者の大統領制をモデルにしている。小泉氏も中曽根氏も、かつてこのアメリカ型を求めた。
 だが、この政治形態は、立法(議会)、司法(裁判所)、行政(内閣・政府)の三権のバランスがとれていればよいが、勢い大統領(=政府)による“独裁”に陥りやすい危険性がある。それも政権交代が起こらない現状ではなおさらである。
 事実、同一政権の長期化は、独裁と腐敗の温床となる。それは、北朝鮮を見れば明らかである。そのため、議会の構成員である国会議員に相当な良識と批判能力が求められる。私は、小沢氏はあくまでイギリス型の「議院内閣制」に心底共感しておられるのではないかと思う。なぜなら彼は、独裁に陥りやすい“大統領制の危険性”を強く感じていると思えるからである。小沢氏自身、述べている。「僕は、イギリスが好きだ。あの国は干渉しないのがいい」と。
 とりわけ、一定の知識はあっても、本来「集団主義」や「全体主義」に陥りやすい日本人は、今日の大統領制的な政体では、“独裁とそれに対する盲従”といった過ちを犯す可能性が強い、と小沢氏は観ているように思える。まさに小沢氏は、今日の自民党政府主導の“アメリカ化”は、単に経済だけでなく政治さえも、まるで「木に竹を接(つ)ぐようなものだ」と考えておられるのではないだろうか。それゆえ、どれほど時間がかかろうとも、彼は選良である議員の質を高め、国民の意識を向上させることが、何より肝要であると考えておられるように思う。
 事実、小沢氏は、自著『小沢主義』の中で、イギリスの政治(あるいは政治家)について、次のように書いている。
 《イギリスの場合、政権与党が所属している代議士をたくさん行政府の中に送り込んで、実際の行政を担当させるのが慣例になっている。日本では政権を取っても内閣に入れるメンバーは大臣、そして自由党の主張によって創設された副大臣と政務官で、その数も実際の権力も限られているが、イギリスでは閣内大臣のほかに、閣外担当相、政務次官、政務次官補と呼ばれるポストがあり、こうしたメンバーを含めると、政府に入って行政に携わる与党政治家の数は百数十人に達する。もちろん、彼らは単なるお飾りではない。実際にそれぞれが役割分担をして、議会での政府側答弁もするし、議論も行なう。政府内部での意思決定にも、もちろん参加する。権限を持った政治家が責任を持って行政に関わっていくことで、イギリスでは官僚が「政治家もどき」になることを防いでいるわけである。
 しかし、その一方でイギリスの官僚は政治家からも、一般の民衆からもひじょうに高い評価を与えられている。彼らは政治家との接触さえも禁じられ、政治との関わりを極端なまで回避している。しかしながら、政府部内における、政策立案の能力と役割は他の国の官僚以上に大きな比重を持っているのである。
 言うまでもないが、こうしたイギリス流のやり方だと、政治家は自分の担当省庁のやっていることを必死になって勉強しなければならない。けっして楽な仕事ではないし、責任も重い。政治家は国会での論戦で堂々と野党を説得できるだけの見識と信念、そして知識を持っていなければならないことになる。
 だが、それが本来の政治家の役目であって、それを嫌がったりするのならば最初から政治家にならないほうがいい僕は思う。それに実際には、こうして政府に参加することで、政治家は行政の実態に接して、現在の制度や法律の問題点も知ることができるわけで、政治家としての見識がさらに磨かれていくことになるのだから、かえって政治家にとってはチャンスである。》
 小沢氏自身、若き日に、日本の政治中枢に参画し、対外的にもアメリカ首脳や各官僚と直談判をし、数多くのことを学び、かつ吸収なさってこられたと思う。このような形で、イギリスの政治家は自らを磨き、そういった逸材の中から世界に通用し、世界を動かす政治指導者が生まれてくる。チャーチルは、そんな指導者の一人だった。無論、当時とは事情も国家も異なるが、真に冷静、かつ大胆だった愛国政治家・チャーチルに酷似する政治家こそ、私は、民主党代表・小沢一郎氏だと思えるのだ。
 事実、小沢氏は、チャーチルを敬愛している。実は、彼は一昨年の7月14日から22日まで、民主党日英議員連盟のメンバーの一人として英仏両国を訪問した。英国では、ロンドン郊外にあるチャーチルの墓にも参拝した。彼は、「墓前で手を合わせながら、訪問団の一人ひとりが政治家としての使命や責任について、改めて考え直す貴重な時間が持てたと思う」と記す(小沢著『剛腕維新』より)。
 小沢氏自身、チャーチルの墓前で、何か決意を新たにするものがあったのではなかろうか。私には、それが「政権交代」の四文字ではなかったかと思えるのである。
 しかし、だからといって、私は、小沢氏も、小泉氏や安倍氏と同じく「アングロサクソンの信奉者」だとは思わない。確かに、「小沢氏もアングロサクソンの信奉者」、あるいはその「崇拝者」だと考える識者は多い。だが、彼が、どれほど英国の議会制度や政治制度を高く評価し、グランドキャニオンに柵がないことに注目して「自己責任」を力説しようとも、それ自体が、「アングロサクソンの信奉や崇拝」につながるとは思わない。
 むしろ私は、彼ほど、アングロサクソンのずるさ、したたかさ、それに強さを知っている政治家は少ないと思うのだ。その点、小泉氏も安倍氏も、彼らに呑み込まれている感じだ。米・英の「アングロサクソン」と対等に渡り合えるのは、彼らの本質を知り得た小沢氏ぐらいであろう。小沢氏の「政治的本質」は、むしろ、真に独立自尊的な“日本精神”であると思う。決して「アングロサクソンの信奉や崇拝」ではないと思うのだ。
 それはまた、人々の生活に立脚した、いい意味で“土臭いもの”だと思う。この真に愛国的な“庶民精神”こそ、われわれがもっと認識すべき彼の「政治的本質」ではなかろうか。
 いまこそ、われわれは、彼の政治的本質を真に理解すべき時ではないかと思う。その意味で、「小沢一郎氏と、救国の政治指導者チャーチル」――それは私にとって、決して無縁ではないように思えるのである。【つづく/次回は12月15日に掲載】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」10

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第10回(2006.12.1)

「富民有徳」の国づくりを目指して

 今週は、自民党の「復党問題」で揺れた。この問題は、当然のごとく、自民党内に波紋を広げ、大きな火種となりつつある。これに対して、民主党・小沢代表は、「何でもありの自民党」と切り捨て、「寄らば大樹の陰か?」と問う人もおり、また、「これは自民党の終わりの始まり」と断言する人さえいる。
 すべてが来年夏の参議院選挙のためと言うのなら、“では、あの「郵政(改革)選挙」とは、一体何だったのか!”という国民のいらだちや疑問の声が聞こえてくる。当事者だった小泉前総理は、まったくのダンマリを決め込んでいる。彼の“使命”は、郵政民営化法案を通すことだけであり、その後のことは、彼にとってまったくの「他人事」なのだろうか?
 そのようないい加減さや無責任さを象徴する言葉が、あの“使い捨て”発言であろう。いかにサプライズ好みの小泉氏とはいえ、突然言われた面々は、開いた口が塞がらなかったことだろう。「小泉チルドレン」と言われる彼らにとって、これほど薄情な「親」もいない。自ら“使い捨て”された経験もない政治家の冷酷な言葉に、一体、どれほどの真実があると言うのだろう? 

 ところで、今、障害者や高齢者が苦境に立たされている。「障害者自立支援法」という悪法が、その美名のもとに、かえって障害者の“生きる権利”を奪い、彼らを窮地に陥らせている。また高齢者にとっては、介護保険料が増額となっただけでなく、国民健康保険での自己負担率も、来春から大幅に上がる見通しだ。さらに、介護給付費の削減を
目的とした『改正保険法』の施行から、すでに半年以上が経った今日、「要介護1」から「要支援」に回された人の数は、多くの自治体で高齢者の半数以上にも上っている。ガンその他でたびたび手術をして、たいへん不自由な身の上であるにもかかわらず、たまたま歩けるからということで、「要支援」に回された人も多くなった。私の母も、そんな高齢者の一人である。私事だが、母は週2回、膝のリハビリのためにタクシーで通院している。だが、無論自弁である。
 そんな母が、ふと私に語ってくれた。「〝要介護〟から〝要支援〟に回されたとはいえ、私はまだ幸せなほうだよ。タクシーで行けるのだから。なかにはタクシーに乗るのさえ辛抱して、長い道のりを杖をついて少しずつ歩いている方を見かけるよ。“一日、500円で生活しなければならない”という方もいらっしゃるよ。“今後、少子化で、高齢者を支えきれなくなる”などと、テレビで自民党の政治家が言うのを聞くたびに、私は腹が立つね。私たちは、若い頃から精一杯働き、ちゃんと年金を払ってきて、自分のお金で現在の生活(=年金生活)をしているわけでしょう。何も、他人様のお金で生きているとは思わないよ。とくに今度の改正は、何かしら足元に冷たい水がひたひたと押し寄せてくるような感じがするね。それに、私ら老人たちは今、国家にとって、何だか余計者のように扱われている感じだね。“長生きしていてゴメンナサイね”とでも言いたくなるよ」と、母は思わず苦笑した。
 たしかに今の自民党政治は、社会的弱者に対してきわめて酷薄である。だがその一方で、小泉前首相退陣前の5回に及ぶ外遊(前首相の「卒業旅行」と揶揄された)で、8億1500万円もの公費を費やされたと、テレビは伝えた。あの脳天気な小泉前総理には、この種の障害者や高齢者の苦しみは分からないであろう。社会的弱者の苦しみをまったく理解できないまま、彼は5年5カ月もの長きにわたって日本国総理大臣の座に君臨(?)し続けた。だが、この責任は、彼にというよりも、むしろ彼を選んだ国民の側にある。 

 小沢一郎氏も、かつての小泉氏とまったく同じであろうか? 私は、決してそうは思わない。むしろ、小沢氏は、このような日本の“惨状”を座視できない仁愛なる愛国的指導者であると思う。彼は、自著『小沢主義』のなかで、「政治とは、いったい何か。政治家とはいったい何者か」と問いかけながら、仁徳天皇のエピソードを紹介している。この点について、かつて拙稿でも少し触れた。この小沢氏の文章を読まれた方も多いと思うが、それは、次のようなものである。
 《ある日、仁徳天皇が皇居の高殿(たかどの)に昇って四方を眺めると、人々の家からは少しも煙が立ち上っていないことに気付いた。天皇は「これはきっと、かまどの煮炊きができないほど国民が生活に困っているからに違いない」と考えて、それから三年の間、租税を免除することにした。
 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、そのために皇居の大殿はぼろぼろになり、あちこちから雨漏りがするほどになった。しかし、その甲斐あって、三年の後には、国中の家から煮炊きの煙が上るようになった。このときに詠んだとされるのが、「高き屋に のぼりて見れば 煙り立つ 民のかまどは にぎはひにけり」という歌である。
 こうして高殿の上から、あちこちの家のかまどから煙が立っているようすを確認した。天皇は皇后にこう語った。「私は豊かになった。もう心配はないよ。」
 それを聞いた皇后が、「皇居がこのように朽ち果て、修理する費用もないというのに、なぜ豊かとおっしゃるのでしょうか。今お聞きしたら、あと三年、さらに無税になさるというお話ではないですか」と聞き返すと、「天皇の位は、そもそも人間のために作られたもの。だから、人々が貧しいということは、すなわち私が貧しいということであり、人々が豊かであるということは、すなわち私が豊かになったということなのだ」と、仁徳天皇は答えた。
 「天皇とは、そもそも人々のために立てられたもの。」 この仁徳天皇の言葉こそ、僕は政治の本質が隠されていると思う。みんなが幸せな生活を、豊かで平穏な生活を送れるようにするために、何をすべきか。それを考えるのが政治の役割、政治家の役割であって、それ以上でも以下でもない。》 

 長い引用で恐縮だが、私は、この話のなかに、小沢氏の「政治」観や「政治家」観が集約されていると思う。まさに彼は、この仁徳天皇の御心を、自分の政治生活の模範としているように思える。
 小沢氏が「民主主義において主権は国民にあるのです」と述べるとき、彼はこの言葉を真に人々を愛する思いから、真心を込めて語っている。それゆえ、この言葉は決して言い古された単なるキャッチフレーズとしてではなく、生活実感のこもった言霊(ことだま)として、聴く者の心を打つ。
 そして彼は、「主権の最大の行使の場は選挙以外にあり得ません」と続けるのである。これが、「政権交代」を何よりの使命と考える彼の本音であり、かつ真意である。小沢氏が選挙に対してあらん限りの力を注ぐのも、そこに理由がある。われわれ国民は、この彼の誠意に応えなければならないと思う。

  ところで、明治以来の「富国強兵」の語源は、横井小楠の次の言葉に求められる。小楠は言う。「堯舜孔子の道を明らかにし 西洋機械の術を尽くさば なんぞ富国に止まらん なんぞ強兵に止まらん 大義を四海に布かんのみ」と。
 この言葉から察せられるように、小楠は決して「富国強兵」を目標にしたわけではなかった。識者の言にもあるように、彼は、東洋文明をもとに西洋の科学技術をとり入れて、日本が富国強兵に務め、民主的・平和的な“道義国家”となって、これを世界に広げようと訴えたのである。
 だが、彼に続いた明治政府の指導者たちは、小楠のこの深い思想を十全には汲み取らなかった。そればかりか、「富国強兵」という単なる手段を、目的(=国家目標)としたのである。その誤りが、すでに61年も前に立証されたのである。しかし、現下の自民・公明党政権は、これとまったく同じ過ちを繰り返そうとしている。
 横井小楠の本意は、「大義を四海(=世界)に布く(=広める)」ことにあった。この「大義」とは、具体的に言えば「富民有徳」だと思う。
 私は、横井小楠の真意は、単なる「富国強兵」ではなく、むしろこの「富民有徳」にあったと思うのだ。
 ごく単純に考えれば、もし世界の国々が、真に「富民有徳」、つまり国民が物質的・精神的に豊かで、高い徳性を持っているならば、それこそ戦争など起こらないはずである。
 たしかに、これは理想論かもしれない。だが、戦争の原因が国民の極度の貧困、国家間の経済格差や強国による搾取や抑圧、さらには世界を動かすほどの力を持つ人々の限りない“強欲”などに求められるならば、国民の物質的・精神的な豊かさと「徳性の高さ」が、戦争の“抑止力”になることも事実である。無論、そこでは、各宗教者間での、他宗教徒に対する“真の寛容さ”も大事であろう。 

 非常に長い目で見れば、小沢氏は、このような「富民有徳」の日本を目指しているように思う。
 そのためには、まず、国民が物質的にも精神的にも豊かでなければならない。厳密には、両者のバランスがよくとれていなければならない。より大事な点は、国家や政権担当者、それに一部の人々だけが豊かになることよりも、むしろ国民が物心両面で豊かになることが先決だ、と小沢氏は考えているように思うのだ。そうすることによって、現下の、この自己中心的な社会から、真に規律ある「自由」が尊重される社会づくりを、彼は求めているように思う。
 事実、小沢氏は、かなり以前から、経済の活力を回復し、誰もが生き甲斐を持って暮らせる社会づくりを、一つの政策目標として掲げている。
 これは、かつて横井小楠が説いた「富民有徳」に通じる精神であると思う。まさに、この精神による国づくりこそが、遠回りのようでいて、真に我が日本国のためになる考えだと思える。
 小沢氏は、一人の政治家、そして一人の政治指導者として、それをより具体的に実現しようとしているのである。この点を、われわれ国民は、もっと深く理解し、心から彼に協力すべきだと思うのだ。【つづく/次回は12月8日(金)掲載】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」9

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第9回(2006.11.24)

「愛すべき日本」は、いずこへ?――「愛国心」の問題をめぐって

 今月20日(月)、「沖縄県知事選挙」の結果が判明した。すでに、多くの方々が論じておられるが、私にとっても、まったく予想外の、非常にに残念な選挙結果だった。糸数ご夫妻、ならびに糸数候補を心から支持・支援した方々に、私は、「本当にご苦労さまでした」と申し上げたい。
 開票結果後、糸数氏は、「出馬が出遅れ、有権者に政策を浸透させることができなかった。ただ、私の票は基地を造らせないという思いの結果。仲井真さんはその思いをくみ、県政に反映させてほしい」(読売新聞、11月20日付)と語った。また彼女は、「長い物には巻かれろみたいな生き方にウチナーンチュ(沖縄の人)は慣らされてしまった」(朝日新聞、同上)とも語る。肝に銘じたい言葉である。
 確かにこのたびの選挙は、“後発(ひと月遅れ)の糸数氏、猛追すれど、善戦及ばず”といったところだった。しかし、異常なほどの不在者投票や不正なすり替え投票など、非常に不明朗な部分が多く残った選挙でもあった。
 このたび、投票した県民の過半数の方々が、「政治(=基地問題)」よりも、むしろ「経済(=地域振興)」の方を選んだ。全国一の失業率その他、当地の深刻な経済事情もあろう。だが私は、この期(ご)に及んであえて言うが、長い目で見れば、糸数さんの主張は正しいと思う。彼女の平和を重んじ、“アメリカ軍基地を沖縄からなくそう”という思いが、もし県民の心から消滅するようなことがあれば、それこそ、先の大戦で亡くなった20万人以上の沖縄県民の御霊や、戦後、米軍基地があるために失われた尊い県民の霊魂は浮かばれないと思う。確かに、多くのものごとは、時とともに風化するであろう。だが、人として決して忘却してはいけないこともあると思うのだ。  

 正直言って、糸数さんの支持・支援者同様、彼女の勝利を確信し、かつ祈念した私は心底、このたびの結果が残念だった。私事だが、これほど大きく心に残る無念は、実は、生涯2度目のことである。
 一度目は、ちょうど30年前、東京での選挙において体験した。1976年、それこそ、“ジバン、カンバン、カバン”の何一つない「一人の若者」が、“住みよい社会にしたい”といういう一念で、衆議院選挙に挑戦した。私たちも、心から彼を応援した。だが彼は、善戦したものの当選には至らなかった。そのことが、精神的に支援した私も、実に無念だった。 その時、私たちは、「組織力」の持つ強さも思い知らされた。その後、彼は二回の落選を体験したが、彼もわれわれ投票者も、決して彼の当選を諦めなかった。そして、初めての落選から4年後の衆議院選挙で、彼は見事に当選した。彼もわれわれも心底、嬉しかった。その「若者」が、現在の民主党代表代行の菅直人氏である。まさに初志貫徹、何事も諦めないことが肝要である。
 当時の菅氏とは無論、年齢的な違いもあろう。だが、政治的な挑戦に年齢は関係ないと思う。それに、糸数氏自身さまざまなご経験を通して、誰よりも沖縄県民を鼓舞する“パワー”をお持ちだ。彼女ほどの政治家が今回の選挙だけで埋もれることはないだろうし、またそうあってはならないと思う。沖縄を真に動かしているのは、実は女性だと思うのだ
 仲井真県政はたぶん、今後、多事多難であろう。同県政に対する健全な批判精神は、決してなくしてはならないと思う。31万近い支持・支援者の思いは、沖縄のかけがえのない“宝”であり、かつ力である。
 糸数ご夫妻の戦いは、決してこの選挙で終わったわけではないと思うのだ。事実、夫の隆氏は、「今後また二人で一緒に頑張っていく」と語られたようだ。お二人の今後のご健闘を期待したい。私は、「人生、七転び八起き」だと確信している。 

 ところで人には、十人十色、百人百様の「愛国心」があると思う。私はある日、母に「愛国心」について訊ねた。「お母さんは、愛国心について、どう思う?」と。すると、母は次のように答えた。 「戦時中の頃の私たちは、“お国のために”という思いは有ったけれど、あえて“愛国心”という言葉は使わなかったような気がするよ。でも今、政府が“愛国心”を強調するのは、何か変な気がするね。愛国心って、あくまで“心の問題”であって、上から振りかざすようなものではないと思う。それは、ごく自然で当たり前の心情だと思うよ」と。
 小沢一郎氏も、自著『小沢主義』の中で、「愛国心」について、次のように書いている。 《今年(2006年)の通常国会で、自民党は教育基本法改正案を提出した。このことについて、ぜひとも一言触れておきたい。
 この法案を自民党が出した主たる目的の一つは、教育基本法の中に「愛国心」という言葉を盛り込むことにあったのは、読者もご承知のとおりだ。しかし、我が国が抱えている教育問題は法律の文面を書き換えたくらいで簡単に片が付くような問題ではないし、そもそも愛国心というのは法律から生まれるものではない。また、かりに教育で愛国心を教え込んだとしても、それは本物の愛国心とは呼べない。愛国心とは、幼いころから適切な教育やしつけをしていれば、自然と生まれてくるものだ。
 家族や友人を大事にできないような人間に、本当の愛国心など生まれるはずもない。自分が暮らしているコミュニティを大事に思う心がない人間に、愛国心を求めても無理というものだ。愛国心の教育などを考える前に、まず家族を大切にする心、そして友人や身の回りの人間関係を大切に思う心を育てるのが先決ではないか。
 さらに言えば、こうした「精神論」を振りかざす前に政治家がなすべきことは、現行の「制度」のどこに問題があり、それをどう改革していくかを具体的に考えることにある。それこそ政治がやるべきことであり、そのための努力もせずに国民に愛国心を要求するのは筋違いもはなはだしい。…
 結局のところ、いくら上から押し付け、洗脳したところで、本物の愛国心は生まれないということだ。本当の愛国心とは、やはり日常生活の中、家庭生活や社会生活の中から生まれてくるものだと思う。そして、大人がなすべきは、子どもたちが自然に誇らしく思える社会や国家を作っていくことにある。そのことを忘れた愛国心教育はすべて無意味だと言っていい。》
 まさに、この小沢氏の言葉に尽きると思う。 
 これに対して政府ならびに文科省は、今までの(とくに「ゆとり教育」以来の)教育政策や教育行政の破綻や行き詰まりを真摯に反省せずに、今まで以上に権力を集中し、“管理”の度合いを強めようとしている。事実、彼らは、いじめによる自殺、高校の未履修問題、それに教育改革タウンミーティングでの“やらせ質問”の問題などについて、真正面から真剣に取り組む姿勢を示さず、ただ政府の「教育基本法改正案」の成立にのみ奔走している。
 とりわけ、国民による質問や批判を直接的に受け付ける姿勢はほとんど見られない。その実態が、先のタウンミーティングでの“やらせ問題”で露見したと言えよう。すべての筋書きが政府(文科省)によって仕組まれ、結局、上意下達されるのが、現代日本の“現実”である。そこには、世論の喚起や、下からの“盛り上がり”など望むべくもない。まさに、政府(自民・公明党)の党利・党略によって国政(この場合、教育政策)が壟断(ろうだん)されていると言っても、決して過言ではない。

 周知のごとく、教育とは「国家百年の大計」である。それに、教育基本法は、いみじくも「教育の憲法」とも言われる最重要な国法の一つである。それを改正するというのなら、そのために5年かかろうと、たとえ10年かかろうとも、その改正理由を国民に十分説明し、国民の理解を得なければならないと思う。安倍総理個人の「公約」だから、ぜひ今国会で成立させなければならないというような“軽い”議案ではないのである。
 今回の場合、民主党も独自の教育案を提出している。「愛国心」に関しては、前述した小沢代表の考えが色濃く反映されている。
 また、これとは別に、同党の藤村修衆議院議員(次の「民主党内閣の文科大臣」と目されている)の「大学入試をなくす」という大胆な計画案は、傾聴に値しよう。藤村氏(衆議院比例:近畿)は、「学生(広島大学工学部)時代、交通遺児の作文を読み、ボランティア活動に参加して35年。震災孤児、ガン遺児ら全国60万遺児の心の叫びが政治行動の原点だ」という。彼はまた、日本・ブラジル青年交流に多大の貢献をしている。民主党には、藤村氏のようなきわめて優れた政治家が、今日の「教育問題」の対策に積極的に関与している。 尾木直樹氏(教育評論家・法政大学教授)の指摘にもあるように、日本の教育制度はあまりにも競争主義的であるために、子どもがストレスから人格障害を起こす可能性が高い。このストレスが、いじめを誘発する原因ともなる。
 無論、その解決には、家庭教育(躾を含めた)や、学校・地域間の注視や連帯感も必要であろう。
 加えて、文科省は、かつて「ゆとり教育」と称して、中学・高校での授業時数を減らしておきながら、他方、「必修」や「入学定員の確保」、さらには「大学進学実績」の評価といった“シバリ”を教育現場に与えるというまったく矛盾した教育政策を、10年以上もやってきた。そのしわ寄せが今年、高校での「未履修問題」として噴き出したのである。
 その第一の原因は、無論、“何より受験”重視の教育制度自体にあろう。だが、この制度をつくったのも人間である。とりわけ、文科省官僚の“教育現場知らず”と想像力の貧困さ、それに省内の「縦割り行政」が、教育政策の行き詰まりの主要な原因と言えよう。同時に、政府(自民・公明党)の文教族議員の教育現場に対する認識不足も問題である。
 だが、とくに文科省の官僚は概して、学校の児童や生徒、それに学生を、一人の人間としてではなく、単なる統計上の「数字」としてしか見ていないのではないだろうか。私はそこに、戦時中の軍部首脳が、前線の兵士を人間としてではなく、むしろ馬以下の価値しかなく、「一銭五厘」(=赤紙の値段)にしか値しないと考えていたことと通底する冷ややかな思念を感じる。 
  真に“改正すべき”は、教育基本法の条文などではなく、何よりも文科省の官僚諸氏の“心と頭”だと思う。加えて改めるべきは、政府(自民・公明党)による復古主義的な誤った「国家至上主義」であろう。これらが改まらない限り、私は、教育基本法の改正は、まったく意味がないと思う。いや、明らかに有害だと思うのだ。どれほど糊塗しようとも、いたずらに「愛国心」を強要することは、現場の生徒や先生方を苦しめるだけである。
 事実、「管理」と「命令」を重視する教育当局と、それに納得できない現場との亀裂や乖離は、今後、ますます混乱の度合いを深めよう。また、際限なき競争と軋轢は、国民間にさらなる格差と差別を生み、人びとを不幸な世界へと招き入れよう。私は、過度の「愛国心」の強調が、必ずやそのような劣悪な世界への“導き手”になると思う。むしろ、この“偏狭さ”こそ、「個」を軽んじ、つねに同化しやすいわれわれ日本人が、一番警戒すべきものだと思うのだ。   

 正直なところ、私の考える“愛すべき日本”は、このような独善的官僚主義や排他的な国家至上主義を超えた彼方に存する。それは、単なる理想論だと言われるかも知れない。だが私は、それができて初めて、日本に生きるわれわれが、真に「愛国心」について心から語り合えると思う。 
 私は、“愛すべき日本”は、そのような地平にこそあると思うのだ。
 私は心底、そのような真に民主的で、平和な日本の到来を願う者の一人である。【つづく/次回は12/1(金)に掲載します】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」8

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第8回(2006.11.17)

沖縄の「命こそ宝」の精神を学ぼう!

自民・公明党政権による「教育基本法改正案」が11月15日、衆議院特別委員会で、与党だけによって単独採決された。安倍政権の焦りと拙速さが窺える。
 そんな中、今月19日(日)の「沖縄県知事選挙」が、目前に迫っている。
 与党、自民・公明党は、仲井真弘多氏(67)を推し、民主党、および共産党や新興政党「そうぞう(=創造)」までも含めた野党連合は、糸数慶子氏(59)を支援している。
 仲井真氏は東大卒後、旧通産官僚から沖縄県副知事、沖縄電力会長を経て、目下地元経済団体の役員を勤めている。他方、糸数氏は、読谷(よみたん)高校を卒業後、バスガイドになり、従来の観光コースとは異なる沖縄戦の戦跡など(後年、「平和学習コース」と呼ばれた)を人々に案内した。20年間、平和の尊さを説く「平和バスガイド」として、沖縄の平和運動に尽力した彼女は退職後、自らの体験を生かし、かつ人々からの支援を受け沖縄県議となった。その後、参議院議員となり今日に至っている。彼女は、4年間の参院議員生活を残しつつも、今回まさに“やむにやまれぬ思い”で、この度の県知事選に立候補した。そこに、彼女の並々ならぬ決意が窺える。
 今回の県知事選について、私は二人の経歴を説明しながら、母に正直な感想を求めた。「お母さんだったら、仲井真さんと糸数さんのどちらを応援する?」と。
 すると母は、次のように答えた。「私は、糸数さんだね。仲井真さんは、いわゆる天下りの官僚政治家でしょう。日本政府と沖縄県との強いパイプ役を強調なさるのだろうけれど、結局、政府の“言いなり”だと思うよ。それに、他の官僚政治家同様、沖縄の人々の実際の“苦しみ”は理解できていないと思うね。その点、三人のお子さんたちのお母さんでもある糸数さんは一人の母親として、女性として、そして沖縄を心から愛する県民の一人として、仲井真さんよりも、はるかに県民のためになる人だと思うよ。小沢先生も、糸数さんには人一倍、期待しておられるんじゃなーい?」と。母の言葉を聴きながら、私はかつて5回ほど訪れた沖縄のことを、たいへん懐かしく思い出していた。  

 沖縄の海は美しい。しかし私は、沖縄の人々の心は、その海にも負けず美しいと思う。私は、沖縄県民は、日本全国民の中で、最も心優しい人々ではないかと思うのだ。これは、私の人生体験から得た、至って正直な感想である。
 たとえ初対面ではあっても、必ず「〔男性に対して〕お兄(にい)さん」と呼びかけるウチナンチュー(沖縄人)ほど善良な人々は、世界でもめずらしいと思う。彼らの大らかな「精神性」は、歴史的には縄文人に通じ、地理的には太平洋のネイティブ・ハワイアンに通じると思う。
 かつてハワイで、ネイティブ(原住民の子孫)の方と語り合った時、初老の彼女は、私にこう語ってくれた。「あの山も、美しい海も、そしてこの大地も、私たちの“もの”(=所有物)という発想は、私たちにはありません。むしろ、私たち人間が、山や海や大地といった大自然の“一部分”なのです」と。
 たぶん、古代の琉球人にも、“万物を所有する”という発想はなかったのではあるまいか。むしろ、彼らの思いは、「人間と自然は一つ」、あるいは人間は、自然万物と“共生すべきだ”というものだったのではないだろうか。私には、この自然に対する畏敬心や人間的な謙虚さが、沖縄人の無類の“優しさ”の原点にあるように思う。 

 ところで今日、日本社会は、大きな混迷の中にある。特に、児童・生徒の“いじめ”を苦にしての自殺、あるいは生徒による「自殺予告」、例年3万人を超える自殺者数、生命保険加入を強制(結局、自殺を強要)した形での不当な貸金業の横行、飲酒運転による交通死亡事故の多発、余りにも理不尽な、高齢者や子どもたちに対する殺害や快楽殺人の実態など、“人命”が極度に軽視、というより無視されている。
 「現代日本人は病んでいる」と言われても、決して抗弁できない現状だ。また、「日本人ほど、人命を軽んじる国民や民族は、世界でもめずらしい」と言われても、われわれは、まともに反論できないのではないだろうか。 
 これに対して、沖縄には、「命こそ宝(当地の言葉で、ヌチドゥタカラ)という精神がある。この精神を最もよく体現した沖縄人が、伊江島で反戦地主運動を雄々しく展開した阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう、1903~2002)さんではないかと思う。 
 阿波根さんは、愛するひとり息子を沖縄戦で亡くした。1945(昭和20)年、4月21日、日米両軍の激戦後、彼がガマ(洞窟)を出たあとに見た光景は、まさに地獄だった。彼は言う。
 「子ども、老人、女の人たち、もう無差別に殺されていた。死体が腐れかかって、島(伊江島)全体に散乱していたのです。一体この子どもたちに、この老人たちに何の罪があったというのか、どんな悪魔であっても戦争ほどひどいことはできない、どんな地獄であっても戦場には及ばない、そう思わずにはいられなかったのであります」と。この後半の言葉はまことに重い。まさに、「戦争=絶対悪」という思いである。
 それに、小禄村(おろくそん、現在の那覇市小禄)の上原昭男氏も述べるように、「武器に亡びる国あれど、武器に栄える国はなし」なのである。これは、今日の核兵器についても言える。 
 そして、阿波根氏が、「沖縄返還」(*1972年5月、本土復帰)協議が行われているさなか悟ったことは、日米安保条約は、日米「危険条約」であるということだった。要するに同条約は、日本(沖縄を含めて)の安全を守る条約ではなく、むしろ世界各地で“日米がともに戦争をするための条約”だったのである。
 また、本土復帰したとはいえ、阿波根さんが実感したことは、「基地がある限り生活が脅かされる」ということだった。たとえば、現地の警察は、県民のために働くのではなく、むしろアメリカ軍と一体となり、罪を犯した米兵を逮捕することもなかった。またアメリカ軍は、県民に対して証拠隠滅をはかり、デッチ上げ行為を平然と行なった。加えて、日本政府も、裁判権行使を放棄していた。まさに、治外法権といった現状だった。 
  そんな状況のなかで、阿波根氏は、戦争の原因を勉強する平和運動の一環として、「資料館づくり」を思い立った。多くの人々が戦争の証拠品を提供してくれた。原爆の模擬爆弾、1トン爆弾、ミサイル、パラシュート、米軍が張った有刺鉄線、それにガンガラ三味線などである。展示されたガンガラ三味線には、「戦場の苦しみを慰め、生きる力をつけてくれた」との説明書きがなされていた。
 資料館の入口には、「ウチドゥタカラ(命こそ宝)の家」という看板を掲げ、壁には、阿波根氏が大事だと思う言葉が書かれていた。それは、「すべて剣をとる者は剣に亡ぶ(聖書)。基地を持つ国は基地で亡び、核を持つ国は核で亡ぶ」という言葉だった。詳しくは、阿波根氏の著『命こそ宝(沖縄反戦の心)』(岩波新書)の御一読をお薦めしたい。
 ところで、私事で恐縮だが、7年前、私の父が鬼籍に入った。死後三日ほど経って、私は父の夢を見た。正直言って、父が夢枕に立ってくれたと言うべきかもしれない。
 枕元で父は私に告げた。「時の移ろいは、矢よりも早し。いのちに勝る何物もなし。心して生きよ、己(おのれ)が人生を!」というものだった。文語表現が「お父さんらしい」と母は言う。父は枕辺で、私に“命の大切さ”を教えてくれたと思う。
 身近に肉親や知人の死を体験した人ほど、“命の尊さ”を理解できるものだ。阿波根さんも、そんな仁者の一人だったと思う。「軍事力を強化する国は、国民を苦しめる悪い国であります。それに武器に頼って生きる人間より不幸な人間はありません」という彼の言葉を、われわれは、強く噛み締めるべきだと思う。彼の「命こそ宝(ヌチドゥタカラ)」という信念こそ、現在のわれわれが学ぶべき”沖縄の精神”ではないだろうか。

 私は、阿波根さんのこの「ヌチドゥタカラ」の精神を受け継ぐ政治家こそ、糸数慶子さんだと思う。また、この精神に心からの共感を抱く政治指導者こそ、小沢一郎氏はじめ民主党内の政治家諸氏ではないかと思うのだ。

 ところで、一昨年の夏、宜野湾(ぎのわん)市の沖縄国際大学の構内に、アメリカ軍の大型ヘリコプターが墜落する事件が起こった。ご記憶の方も多いと思う。これについて、小沢氏は、『剛腕維新』(角川書店)の中で、次のように述べている。 
 同大は在沖縄海兵隊の普天間飛行場に隣接し、周辺は住宅が密集する地域だが、奇跡的に学生や民間人に怪我人はいなかった。事故原因を調べるためにも、沖縄県警や国土交通省などの捜査・調査が必要だが、米軍は事故直後から立ち入り禁止ラインを設定して、日本の官憲には一切触れさせず、単独でヘリの残骸を搬出したという。沖縄県警が現場検証できたのは事故から6日後。すでに機体の回収は終わっており、痕跡を調べるだけだったという。
 米軍は、日米合意議事録の「米軍の財産に関する捜査には米軍の同意が必要」という規定を根拠にしているらしいが、墜落現場は日本の私有地であるうえ、一つ間違えば多数の死傷者が出てもおかしくない事故だけに、少なくとも日本側と米軍が共同で捜査・調査すべきだろう。それなのに、日本政府は米国に対し、「今回のヘリ事故は大変遺憾だ。県民の不安を真剣に受け止めて対処してほしい」(川口順子外相、当時)などと、ありきたりの善処を求めただけ。小泉首相に至っては、事故を受けて沖縄県の稲嶺恵一知事が面会を求めたのに、「夏休み中なので会えない」と、当初これを拒否したという。アテネ五輪を深夜まで観戦して、金メダリストをたたえる国際電話をかける時間はあるのに、国民の生命と財産が危険にさらされたことへの対応は先送りしたのである。
 以上の記述からも想像できるように、もし小沢氏が首相の立場であれば、小泉氏のような首相失格を思わせる態度・行動をとらず、むしろ自ら現地に赴いたことだろう。そして、アメリカ大統領並びに沖縄米軍基地を統括する最高司令官に厳重抗議し、共同捜査を申し入れたと思う。それだけの行動力と見識を、小沢氏は十分持ち合わせていると思うのだ。なぜなら彼自身、「命こそ宝」や「日本の独立」、それにわが国の「国家としての品格」を、誰よりも大事にする政治指導者であるからだ。
 それゆえに、今一度、改めて言いたい。糸数さん、頑張れ! 民主党、頑張れ!
 現代日本の病弊を直し、日本を救う精神は、まさに「命こそ宝(ヌチドゥタカラ)」の“沖縄魂”である。糸数さんは、この“魂”を、十分に継承していると思う。
 私は、この沖縄魂こそ、混迷日本を照らす“一条の光”だと思うのだ。【つづく/次回は11月24日に掲載予定】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」7

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第7回(2006.11.10)

糸数さん、頑張れ! 民主党、頑張れ!
――沖縄は、日本の“命”、そして世界の「宝」

 大方の予想どおりとはいえ、アメリカの中間選挙は、民主党の勝利に終わった。今後、ブッシュ政権は、ますますレイムダック(死に体)化していこう。ラムズフェルド国防長官の更迭は、遅きに失したとはいえ、その端緒と言える。
 周知のごとく、このアメリカの政治変動は、関係各国の今後の政治情勢に多大の影響を与えるだろう。日本も、決して例外ではない。われわれが意識しないところで、世界の「歴史」が大きく変わろうとしているのだ。
 このたびのアメリカでの中間選挙の結果を耳目におさめながら、私は目下、日本国内でのある「選挙」のことが、非常に気になっている。実はそれは、「沖縄県知事選挙」である。
 今月2日、『沖縄県知事選挙』が告示された。テレビのニュースで、候補者の一人、糸数慶子さん(59)を観た私の妻が、思わず叫んだ。「わぁ、笑顔がキレイ!」と。それは、日頃の妻にはめずらしい感嘆の声だった。
 確かに、糸数さんの笑顔は明るく、実に健康的だ。これからの沖縄には、この“健康的な明るさ”が是非とも必要だ。
 ある日、私は、母に訊ねた。「お母さんは、沖縄について、どう思う?」と。すると、母は、次のように答えた。
「沖縄の方々は、ほんとうにご苦労なさっていると思うよ。大東亜戦争の時だって、日本軍は、沖縄の人々を犠牲にしたわけでしょう。無論、戦時中、私たちだってアメリカ軍の空襲を受けたけれど、当時の沖縄県民の4割の人々が亡くなるなんて、想像を絶するね。戦後だって、『核の傘』なんて言うけれど、本土の私たちは、沖縄の方々が耐えてくださっているおかげで、戦争とは無縁の世界で、のうのうと生きてこられたわけでしょう。本当に申し訳ないことだね。先日、テレビで観たけれど、あの基地騒音、あれはヒドイね。あんな爆音のなかで生活するなら、私なんか、きっとノイローゼになるよ」と。
 たしかに、日本全土の0.6%に過ぎない沖縄に、日本にあるアメリカ軍基地の75%が集中しているという現実――まさに本土のわれわれは、今も沖縄を「盾」にして、日々の生活を送っている。 

 「神」とは、時に“残酷な存在”だと思う。なぜなら、世界で最も貧しいアフリカの人びとに、「貧困」と恒常的な“戦争状態”という過酷な試練を与え続けているからである。それと同様に、先の大戦で筆舌に尽くし難い苦難を味わった沖縄の人びとに、今も耐え難い苦痛を与え続けているからだ。遠藤周作ではないが、「神は“沈黙”しておられるのか?」と問いたくもなる。
 しかし、いかに強大なアメリカとはいえ、決して「神」ではない。いつかは消滅する、単なる被造物の一つに過ぎない。
 神が「正義」そのものだとするなら、われわれは、自ら「正義」だと信じることを訴え続けるしかない。 
 では、沖縄の人々にとって「正義」とは、一体、何だろうか? それは、アメリカの軍事基地が、沖縄本土からすべてなくなることではあるまいか。たとえ、先の大戦で日本がアメリカに敗北し、日米軍事同盟という盟約があろうとも、そのようなものはあくまで便宜的かつ一時的なもので、決して永久に存続すべきものではない。
 他方、沖縄は可能なかぎり(つまり天変地異で消滅しないかぎり)、真に平和な形で地上に存在すべきものである。そこでは、アメリカ軍基地など無用である。いや、その存在そのものが「悪」である。万が一、中国がアメリカにとって代わろうとしても同じである。
 言うまでもなく、沖縄は、沖縄人固有の土地である。人は、「良心」が備わっているかぎり(つまり人間であるかぎり)、自ら「悪」と思うものは、どれほど時間がかかろうと、それを除去しなければならない。
 たとえば、マハートマー・ガンディー(1869~1948)は、大英帝国がインドを植民地支配することを「悪」(あるいは不正義)だと“実感”したがゆえに、彼は全生涯を、祖国独立のために捧げた。その間、彼は同胞だけでなく、敵対者(大英帝国)をも心から信じた。しかし、幾度となくガンディーは裏切られた。それでも彼は、敵対者を信じた。彼の言葉が残っている。
 「サティヤーグラヒ(非暴力の抵抗者…つまり彼自身)は、恐怖からの決別を告げる。したがって彼は、敵対者を信頼することを恐れない。たとえ敵対者が20回裏切ったとしても、21回信頼する覚悟ができている。人間性に対する絶対の信頼は、まさに彼の主義の本質である」と。
 この思いを一貫して抱きながら、ガンディーは忍耐強くイギリスと交渉した。そのため、イギリスに対する彼の譲歩が同胞への裏切り行為だと誤解され、彼は同胞に殺されかけたことが度々あった。このように、「人間性」(とくに、人間の善性)を絶対的に信じたガンディーではあったが、それでも最後には、イギリスに対して、“クイット・インディア!(インドから出て行け!)”と叫んだのである。それゆえ、沖縄の人々も、いつの日かアメリカ軍基地が「消滅する」ことを心底信じて、今後、自らの正義の思いを保ち続けて行かれると思う。

 周知のごとく、沖縄人は、世界に通用する“パワー”を持っている。それは決して、芸能・芸術やスポーツの分野だけではない。実は、政治・経済・外交・貿易の分野でも言える。
 沖縄の美しさ、沖縄人の優しさ、それに沖縄の力こそは、まさに日本の“命”とさえ言えるのではあるまいか。なぜなら、沖縄は、日本人の力や生命力の“源泉”だと思えるからだ。
 たとえば、本土の人々が過度の「競争」に身も心もすり減らし、価値観や道徳観さえ喪失して、ひたすら心の安らぎを求める時、沖縄の美しい海と明るい陽光、それに沖縄人の温かい人情が、人々の疲れた心を癒し、励ましてくれる。また、アメリカ軍基地の厳存という逆境の中で雄々しく生き抜く沖縄の人々の生き様が、われわれに生きる「力」さえ与えよう。
 われわれは、沖縄の人々を犠牲にしているのに、かえって彼らの存在が、われわれの生きる“源泉”とさえなっている。その意味で、沖縄は、まさに日本の“命”だと思うのだ。
 この事実を、われわれは、決して軽んじるべきではない。そして沖縄は、世界の「宝」でもあるのだ。それは、目に見える形でも見えない形でもそうだと思える。
 換言すれば、精神的な意味でも物質的な意味でも、沖縄は世界の「宝」だと思う。その意味で私は、真に「美しい国」、それは、日本ではなく、むしろ沖縄だと思うのだ。
 その沖縄を誰にも負けず愛し、かつ大切にしている人、それが、今回の県知事候補・糸数慶子さんである。彼女は真に優しく、美しく、かつ強い“沖縄そのもの”だ。そして、真に“カリスマ性”を持った政治家だ。
 彼女はまた、女性や子どもたち、それに「社会的弱者」を心底愛し、大切にできる人だと思う。糸数さん自身、「沖縄の子どもたちこそ、沖縄の宝だ」と明言する。これこそ、まさに子や子孫の幸せを念じる“母の思い”だ。それにこれは、今の日本人が失いかけている心情でもある。私は彼女こそ、今後の沖縄や日本にとって欠くことのできない政治指導者だと思う。
 糸数さんは、「やさしさとやすらぎのある沖縄県づくり」と「平和と共生、自治と自立の沖縄をつくる」ことを目指して、このたび立候補した。彼女によれば、「平和と共生」は沖縄県民の心を表現し、「自治と自立」は沖縄県民の願いを表現している。
 この「平和と共生」「自治と自立」は、単に沖縄県だけでなく、日本全国の各都道府県でも立派に通用する政治理念だと思う。その意味で、彼女の考えはきわめて普遍的で、説得力に富む。
 とりわけ糸数さんは、「親たちが必死になって引き継いでいる平和、それは『うまんちゅ(「万人」、あるいは「すべての人々」という意味)の願い』です」と語る。これは、沖縄県民の過去の悲惨な体験にもとづく、正直な“魂の叫び”とも言えよう。同時にこの思いは、小沢民主党による平和政策の最も内奥にある「共通認識」だと思う。
 ところで、実際に糸数さんが提起する14項目の「基本政策」も、それぞれ具体的で、非常に明快だ。なかでも、彼女は、普天間基地の即時閉鎖・返還を求めている。これは、今までの彼女の平和観、沖縄観の当然の帰結であり、かつほとんどの沖縄県民の切なる思いを代弁しているとも言えよう。有り体に言えば、彼女は、“われわれ沖縄県民は、アメリカ軍基地の駐留に、もうこれ以上我慢できない!”と訴えているのだと思う。
 私は、この彼女たちの訴えは、先述したガンディーの「クイット・インディア!(インドから出て行け!)」に通じる思いだと感じる。
 だが糸数候補は、朝日新聞「社説」(11月4日付)で書かれたような、「普天間問題」だけを焦点にしているわけではない。むしろ、彼女が掲げる基本政策の多面性と、それぞれの政策の明確さは、読む者の心を打つ。 
 何より大事な点は、彼女が今回の知事選を、単に4年に1度の選挙というよりも、むしろ「沖縄50年、100年後を見据える選挙」として、将来の子どもたちに“よりよい沖縄を残す”ための、きわめて重要な選挙であると位置づけていることだ。 
 糸数さん自身、こう述べている。「沖縄が沖縄らしくあるために、中央(=日本政府)にしっかりとものが言える県知事として、みんなと一緒に頑張っていきたい」と。 
 私は、民主党の小沢代表も、その実現を、誰よりも強く念願しておられると思う。この両者の強力なタッグは、今後の日本の政治状況にはかり知れない影響力をもたらすだろう。
 小沢代表と糸数さんはじめ真に沖縄を愛し、日本国を愛する人々がともに手を携えて活動すれば、日本の政治は、明らかに変わると思う。「日本が変わる」ということを心から信じ、それに向かって邁進することこそ、今のわれわれに最も求められていることではないだろうか。
 沖縄の人々よ、糸数さんの掲げる旗の下に集まろう。そして、沖縄をよい方向に変えていってほしい。
 糸数さん、頑張れ! 民主党、頑張れ! 
 私は、日本の「夜明け」は、まさに沖縄から始まると確信している。そして、その“夜明けを告げる人”こそ、糸数慶子さんだと思うのである。【つづく/次回は11月17日(金)掲載予定】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」6

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第6回(2006.11.3)

国民とともに真の「教育改革」をめざす小沢・民主党

 今、わが国の教育界が大きく揺らいでいる。一つは、“いじめ”による自殺の問題。二つ目は、高校における必修科目の「未履修」問題である。両問題は、一見無関係のように見える。だが、これらの問題は、戦後教育の根本的な欠陥が露呈された現象とは言えないだろうか? つまり、今日、本当の意味での“教育”がなされていないと思う。
 換言すれば、今日の教育は、「教育」とは名ばかりで、生徒を一人の自主的な人間として、かつ一個の“人格”として、責任を持って育てていないのではあるまいか。言うなれば、常に「教員(あるいは、関係者)本位」で、真に児童や生徒の立場に立った教育がなされていない、と思うのだ。 

 ある日、私は、母に訊ねた。「お母さん、昔の先生って、どうだった?」と。すると、母が答えた。「先生は、あくまで『先生』であり、尊敬すべき“存在”だったよ。また、十分尊敬できたよ。それに、小学生の時に受けた躾を、この年になっても忘れられないよ。私は、Y先生のお蔭で、一人前になれたと感謝しているよ」と。
 ところで、次のような言葉がある。「今日を楽しむ者は、花を活けよ。一年先を楽しむ者は、花を植えよ。十年先を楽しむ者は、木を植えよ。百年先を慮(おもんぱか)る者は、人を育てよ」という言葉である。
 この“人を育てる”ということが、まさに「教育」である。ところが、今の日本の教育は、どうだろう?
 真に子どもたちを“育てている”だろうか? たとえば、今の学校に、心からの“感動”があるだろうか?
 児童や生徒は、校内で自分自身を思い切り表現したり、“自己実現”できているだろうか? 先生たちは、生徒たちに「信頼」や「勇気」の大切さを、身をもって教えているだろうか? 何より、先生たちは、彼らに将来に生きる“希望”を与えているだろうか?
 そこでは、単に知識を“詰め込む”ということだけに重点が置かれているのではないだろうか。私は、何か“大事なもの”が欠けているような気がする。つまり、今の学校では、「知」「情」「意」「体」のバランスを保ち、「知育」「体育」「徳育」の三育を平等に奨励するという姿勢は崩れ、ただ“東大その他の有名大学や医学部に合格できればエライ”という風潮が蔓延している。そのため、他人に対してまともな挨拶もできず、「ありがとう」という大事な一言も言えないまま、社会に送り出されるコンピューター・ロボットのような若者たちが出現してしまう。

 とはいえ、決してそのような子どもや若者たちばかりではない。なかには、本当に心優しく高い徳性を持った子どもや若者もいよう。だが、中学校の教室内で、同級生が落とした消しゴムを拾ってあげると、その生徒に対して、「偽善者にもなれない偽善者」などと言って罵倒するような、「教師失格」以前に“人間失格”とでも言えるような教師が存在する。これが、昨今の現実である。時として学校は、閉ざされた“暴力空間”となる。
 いじめる側の人間は、いじめられる人間の“心の痛み”は、まったく分からないと思う。これは、私の正直な実感である。実は私自身、40年以上も前の中学1年生の時、級友たちからいじめを受けた経験がある。それは、クラス(とくに女生徒)に絶対的な影響力を持ったボス的な女生徒の、私に対する誤解と悪意から生じた“いじめ”だった。 
 当時は、「いじめ」という言葉こそなかったが、今考えても、まことに心痛む体験だった。だが幸い、私のことを理解し、かばってくれる一人の級友がいた。正直なところ、そのボス的な女生徒の“裏に隠れた存在”と彼女の他生徒たちへの「指図」の実態を、彼女から謝罪された今から13年前まで、私はまったく知らなかった。なぜなら、彼女は私がクラス委員長だった時の副委員長だったのだから――“まさか、彼女が首謀者だったとは”というのが、私の正直な思いだった。無論、私にも「非」があったかも知れない。だが少年の頃、私が遭遇した“いじめ”は、それほど巧妙、かつ陰険だった。 

 しかし今は、かつて私をかばったような「級友」さえ、かえっていじめられるような酷薄な時代だ。それに、いじめる側は、概して“群れ”をなしている。彼らは、一人の人間としての自覚が乏しく、ただ、“自分がいじめられなければよい”とだけ考えている。常に、我が身の「保身」だけを気にしているのだ。まるで、社会のなかのずるい大人たちの反映ではないか。
 “自殺”という究極の手段を選ばざるを得なかった少年・少女たちの無念を思う時、私たちは、教育の持つ責任や重大さを再認識すべきだろう。
 ところが残念なことに、目下、国会で審議中の安倍政権による「教育基本法改正案」では、この種の問題の解決はまったく無理ではないかと思う。
 なぜなら、この改正案は、既存の“国家主義的”な教育政策の単なる踏襲・強化に過ぎず、現在の教育現場の生徒、保護者、教員の真情や地域の現状を真に汲み取るものとは思えないからだ。要するに、同法案は、今までのものと同様な“上意下達的”な「管理強化」を求める以外の何物でもない。だが、この旧来の手法や「あり方」が、このたびの教育問題の深刻化によって、すでに“破綻している”のである。その自覚が、現在の政府首脳や教育関係者には、まったく見られない。 
 それゆえ、安倍自公政権が同案を提出し、たとえそれが可決されたとしても、この種の教育問題は、決してなくならないだろう。かえって、政府の「強圧」や「排他性」ゆえに、問題がますます深刻化し、泥沼化しよう。むしろその原因究明を真摯に堀り下げた上で、一歩一歩問題解決を目指さなければならない。
 だが正直なところ、この解決は、現下の自公連立政権では望むべくもない。
 他方、小沢一郎氏の「教育問題」に対する洞察は鋭く、かつ深い。彼は、現在の犯罪の多発・凶悪化の原因を“教育の崩壊”に求める。彼は言う。「親が子どもに何よりも教えなければいけないのは、『自立せよ』というメッセージだ。そして、そのために必要な知恵を教える――それが教育の原点だ」と。
 母の時代の教育には、それがあったと思う。だが、今日の教育にはまったく見られない。確かに、今の児童・生徒には、学校で“自立の機会”が与えられていない。先生にも、それに対する自覚がない。それは、家庭でも同様だ。
 小沢氏はまた、戦後日本の教育行政には、「最終責任者がいなかった」と述べる。そのために、“教育の責任を誰がとるのか”を明確にすることが今日の日本に求められる、と彼は力説する。
 確かに、この問題の根は深い。
 そのような無責任な状況であったがゆえに、問題が起きると、報告を受けた管理職は、まず「事実」を隠蔽する。だが、いったん問題が発覚すると、他者に責任転嫁したり責任回避を行う。そして、責任を負うべき当事者でありながら、まるで“他人事”のように振る舞う。頭を下げることで、責任をとったつもりになる人もいよう。なかには、高校での「未履修」問題の対応で見られたように、受験生に謝罪の言葉を述べつつも、その頭さえ下げなかった校長先生までいる。まるで、“自分には責任はない”と言わんばかりの態度だった。
 教育者でありながら、その態度は、まるで傲慢な役人のようである。今度の“いじめ”自殺や「未履修」問題に対する管理職教員の態度をテレビで見ながら、私は、「水俣病」患者への救済問題で、患者側からの切実な訴えに対して正当に向き合わず、結局逃げ回っている政府や厚生労働省の役人と、まったく同じ行動様式だと思った。
 教員や生徒を管理・指導する人々が、総じて“硬直化”している。つまり、当事者が、現実の問題への対応能力や解決能力を失っているのだ。

 だが小沢氏は、このような無責任な態度や対応を許さない。そして同時に、彼は、国民がすべてを「お上まかせ」にするのではなく、一人ひとりが“日本をどういう国にしたいのか”とか、“若者たちにどのような人間になってほしいのか”などについて真剣に考え、その実現に向けて行動すべきであると力説する。
 確かに、「上意下達」や“何でもお上まかせ”ではなく、むしろ地域・現場の人々の理解や協力、それに協働があってこそ、真の「教育改革」への道が開かれると思う。自民党の『教育再生』という名の教育改革が本質的に旧来の“上意下達的”なものであるのに対して、民主党のそれは、国民や市民の参画・協働でなされるボトム・アップ的な(つまり、下から上をめざした=下意上達的)改革だと言える。
 小沢氏や民主党議員の掲げる「教育改革」は、そのような“常に国民の立場に立つ”という政治姿勢を堅持している。何より、小沢氏の「教育改革」は、国民に意識変革を迫り、共に「意識改革」を目指すものである。それは、単なる目先だけの制度改革ではない。むしろそれは、長期的な意味での“人間改革”とでも言えるものだ。 
 この視座こそ、今日の日本に求められるものではあるまいか。今日の教育問題は、付け焼刃的な対策や選挙を当て込んだ党利党略的な対応で、その場をしのげるような生易しい内容ではない。きわめて深刻な状況だ。 それゆえ、小沢・民主党の「教育政策」について、われわれはもっと注目し、かつ支援すべきだと思う。それが、今後の「明るく公正な国づくり」につながると思うのだ。われわれが動かずして、一体誰が動くと言うのだろうか。【つづく/次回は11/10(金)掲載】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」5

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

第5回(2006.10.27)

“絶対善”としての政権交代

 「逆境は、最良の教師である」と語ったのは、19世紀のイギリス首相ディズレーリ(1804~81)である。
  目下、民主党は、苦境の直(ただ)中にいる。だが、民主党の闘いは、まさにこれからだ。
 私は、いかに敗北したとはいえ、神奈川16区を雄々しく戦った後藤祐一氏と大阪9区で奮戦した大谷信盛氏の健闘を讃えたい。それに小沢党首はじめ菅氏や鳩山氏、並びにその他の民主党議員と支持者・支援者の方々の御努力に心からの敬意を表したい。有能な後藤、大谷の両氏は、まだお若いのだから、今回の経験を糧にして、再起を期してほしいと思う。
 実は、このたびの補選の結果について、私は、母に尋ねた。「今回の補選の結果を、お母さんはどう思う?」と。
 母は答えた。「(民主党は)負けはしたけれど、大差での負けではなくて、みなさん、よく善戦されたと思う」と。それは、母の至って正直な感想だった。 

  周知のごとく、このたびの選挙は、自民党と民主党との戦いというよりも、むしろ「自公」と非「自公」(ただし共産党以外の)との戦いだった。それは、「組織」と「どぶ板」との戦いだったとも言えよう。
 朝日新聞(10月23日付朝刊)は「『小沢流』選挙に限界も」と報じ、毎日新聞(同左)も「民主『小沢頼み』限界」と、両紙とも、いわゆる“小沢限界”論や“小沢翳り”説を展開した。だが、果たしてそうだろうか?
 私は、決してそうは思わない。
 私は、「どぶ板選挙」こそ民主主義の原点であるとみなし、「選挙運動は川上から」という小沢氏の持論は、まったく正しいと思う。むしろこの、現場を重視する精神をなくしたら、日本の民主主義はますますひ弱なものとなろう。
 確かに、選挙において「組織」の力は強い。今まで多くの選挙が、各政党の“組織力”で戦われたことは事実だ。だが反面、この「組織」とは、いかに不実で無責任なものであるか。つまりそこでは、構成員一人ひとりの確たる信念や良心、それに意見は無視され、ただ「組織」の上層部や一人の“独裁的指導者”の一存ですべてが決せられる。だが、民主主義国家日本で、これは、実におかしなことだ。まるで、ファシズムそのものではないか。

 事実、西日本新聞によると、去る9月22日に、安倍氏と創価学会名誉会長・池田大作氏が密かに会った。大阪の補選では自民党の苦戦が予想されていたのだが、自・公協力で大阪では3万5000票は期待できる(自民選対)と考えられた。無論、この「組織票」は大きい。いや、“決定的”とさえ言える。
 だが、今回の大阪補選での自民・民主の得票差は、1万8802票である。誰の目にも明らかなように、創価学会票が今回、大阪補選の形勢を逆転させた。万が一、自民党に対する学会票による助勢がなければ、今回の自民、民主の結果は、明らかに逆転していた。
 今回の選挙は、安倍総理の初陣と考えられたが、学会員にとっては、何よりも太田昭宏・公明党代表の初陣だった。それは、彼らにとって、“絶対に負けられない(いや、負けなど考えられない)”一戦だった。 だが今回、何より自明なことは、いかに敗北したとはいえ、民主党は、“創価学会に頼まずとも”十分に選挙を戦えるということである。これに対して、自民党は、もはや創価学会の協力なしにはやっていけないのである。
 何気ないことだが、この差は、実に大きい。目先の利益に目が眩み、また“背に腹はかえられぬ”思いで創価学会の力を借りている自民党は、年を逐うごとに凋落せざるを得ないであろう。
 自民党が「学会」に依存する限り、民主党は短期的に負けることはあっても、長期的には必ず勝つ。威勢のよい内閣府や自民党本部に“祇園精舎の鐘の声”が聞こえ始めていることを知る心ある自民党員は、今はまだ少ないかもしれない。だが今後、その数はますます増えることだろう。 誰が考えても、自民党は、もはやかつての自民党ではない。

  今回の補選応援演説のなかで安倍氏は、小沢氏に対して、「かつて自民党にいた人たちが自民党を批判している。しかし、今の自民党は、かつての(小沢氏がいた頃の)自民党とは違う」と力説した。たぶん、安倍氏は、金権・腐敗した大派閥(=田中派)による強権・強圧政治のかつての自民党と今の自民党とは違う、と言いたいのだろう。
 だが実際は、派閥は少しも解消されてはおらず、ただ「田中派」が「森派」にかわっただけではないか。それに金権の温床とも言える巨額の政治資金は、竹下登亡き後、自民党参院議員会長の青木幹雄氏が、後生大事に(?)に継承しているではないか。どこが、どう変わったというのか。
 ちなみに、あまりに知られていないことだが、1994年1月、社会党が連立政権から離脱して、村山富市政権が誕生したが、あの「どんでん返し」を裏で画策し、小沢氏を下野させたのは、竹下登だった。彼は、大蔵大臣や総理大臣としてはまったく無能だったけれど、このような策謀にかけては、人一倍、巧者だった。(筆者は、この事実を、日本ではなく、ハワイ在住の際に耳にした。)

  確かに、かつての自民党には、派閥間抗争による活力もあり、それほど創価学会の力を借りなくても十分やってこられた。だが今では、創価学会の助力なしには政権を存続できない状態だ。この意味で、安倍氏が
「今の自民党は、かつての自民党ではない」と言われるのであれば、私は、彼の言葉に心から賛同したい。 しかし、この現実を考慮する時、自民党と民主党と一体どちらが、“自立した”強力な政党と言えるだろうか。「いつまでも 満月と思うな 自民党」という、心ある人々の声さえあるぐらいだ。

  考えてもほしい。日本の長い歴史を見ても、たとえば源頼朝は、平家に対して初めから強かったわけではない。初戦の石橋山の合戦では完全に敗北し、命を奪われそうになったところを、平氏側の梶原景時に助けられた。足利尊氏も、一時期、南朝方に負けて、九州まで敗走したことがあった。その後、彼は、西国諸将の助勢を得て、再度上洛したのだった。
 本当の強者や強い組織の試金石は、数々の苦難や逆境に、どれほど雄々しく耐え、果敢に盛り返していけるかだと思う。高校野球でも言うではないか。「ピンチの後にチャンスあり」と。
 それに、“太陽はいつも輝いている”のだ。どんなに雨が降ろうと、雪が降ろうと、太陽は天空で、いつも燦々と光り輝いている。決して、悪いことばかり続くものではない。よく言われるように、「夜明け前が一番暗い」のだ。

 ところで、本稿で、あえて次のことを述べたい。
 古い話だが、古代ギリシヤの哲人ソクラテスにとって、「善」とは、同時に美しく、かつ正しい(=真)であった。つまり彼にとっては、「真」も「善」も「美」も、まさに一体だった。そして、人が真・善・美のどれか一つさえ自ら知った(つまり、実感した)ならば、その完成を目指して行動(=実践)しなければならないと、彼は同胞に訴えた。
 確かに、実際の政治は、往々にして政治家やそれを取り巻く人々の「利(=利害・損得)」で動く。だが私は、「利」だけで動く政治を、決して“美しい”とは思わない。そこには、「美」などないと思う。「利」とは結局、人間の欲望や集団のエゴによって成り立つものだ。
 自公連立政権は、結局、両党間の「利」による結びつきだ。言うまでもなく、それは、「義(=正義)」や「理(=道理)」による結びつきではない。それは、パートナーが余りに強くなり過ぎればおのずと警戒し、反対に弱くなればもはや相手を捨てるというような、実に“薄情な関係”である。
 しかし、小沢一郎氏は、政治行動において、決して目先の「利」ではなく、あくまで「義」と「理」を尊ぶ。今日のわれわれ日本人に欠落しているのは、この「義」と「理」の精神ではないだろうか。

  小沢氏にとって、政治はあくまで「正(あるいは義)」であり、人々の生活そのものなのだ。人々の幸せや生活の安定・安心、それに真の日本の平和と日本人の世界への理想的貢献こそ、彼が心から求めるものである。そのために、彼は自著『小沢主義(オザワイズム)』の中で、仁徳天皇の「民のかまど」の話をわれわれにわかりやすく説いているのだ。
 そして、小沢氏が、これらを真に実現するために是非とも果たさなければならないと考えている「理」こそ、まさに“政権交代”である。この思いは、彼が国会議員になってこの方(37年間)、ずっと彼の頭と心の中に存在している。それを真に可能ならしめる有効な手段として、小沢氏は、「小選挙区制」の導入を真剣に模索し、かつてその線に沿って政治改革を断行したのである。これは、昔日の鳩山内閣や田中角栄内閣でも試みられたが、結局、実現されなかった。それを実現したのは、誰よりも小沢一郎氏である。

  私は今日まで、「絶対」とか「絶対に」とかいう言葉を使ったことはない。だが、この世にも、「条件つきで」とか、「相対的に」ということではなく、むしろ“絶対的な善”と言えるものが存在するように思う。 今日の日本で“絶対的な善”と言えるもの、それが「政権交代」だと思う。だが「政権交代」は、決して“絵に描いた餅”ではない。むしろ、みんなが一念に信じて、そのために一致団結して行動すれば、必ず実現すると思うのだ。
 私は、今までの生涯の全思念をかけて思う。日本での「政権交代」は、“絶対的な善”である、と。そして、日本国民の一人ひとりが、その実現に向けて前進すべきである、と。
 その旗を高く掲げる政治指導者こそ、小沢一郎氏であり、民主党の心ある同志たちなのである。
 今こそ、民主党よ頑張れ!
 次代は、決して自民党や公明党のものではない。むしろこれからは、真に人々の生活とその希望を尊ぶ民主党の時代なのだ。【つづく/次回は11月3日(金)に掲載します】



ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」4

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

【第4回】(2006.10.20)

西郷隆盛の「魂」を持ち、大久保利通の「頭脳」を有する政治家

 10月18日(水)午後3時より、安倍総理と小沢民主党党首との間で、初めての「党首討論」が行われた。
 前半、小沢代表は安倍総理に、「憲法改正の理由」を訊ねた。また後半、小沢氏は、日本の北朝鮮への対応に関して、有事を前提とした「周辺事態法」を、今回の国連制裁決議に適用しようとするかにも見える政府の行き過ぎや論理的矛盾を突き、そのアメリカ追従の“場当たり的な対応”を鋭く批判した。
 そこで露呈したことは、安倍総理の憲法改正に関する認識や考え方が極めて不明瞭、かつ不明確であることだ。
 また、「周辺事態法の想定する事態と、国連の制裁はどういう性格を持つのか」という両者の”質的差異”について問うた小沢氏の基本的質問に対して、安倍総理は、明快に答えられなかった。
 実際、彼は、小沢氏の質問の意図さえ汲めず、単に「べき論」を、縷々述べたに過ぎなかった。総理の、あの程度の認識力や把握力では、党首間の正当な議論など望めないのではないだろうか。至って正直な感想を述べれば、“未熟でお粗末な政治家や国民が、未熟な指導者(=総理)を支持することの、何と愚かで不幸なことか!”という思いである。
 これに対して小沢氏は、終始冷静で、皮肉の一つも言わず、常に“論理性”を尊ぶ、理性的な態度だった。 この両者の場面を見ながら、私はふと、ある日の母との会話を思い出していた。 

 ある日、私は、歴史物の好きな母に訊ねた。「お母さんは、大久保利通と西郷隆盛の長所について、どう思う?」と。
 母は、しばらく考えた後、こう答えた。「大久保さんのいい所は、やはり何より我慢強くて、知的なところだね。あの人がいなければ、明治維新は成功しなかったと思うよ。西郷さんのいい所は、人を差別せず、情が濃やかで豊かなところだね。あの方の『敬天愛人』という言葉は、いつの時代にも通用すると思うよ」と。 「じゃ、お母さんは、大久保さんと西郷さんと、一体、どっちが好き?」と問い直すと、母は、即座に答えた。「好きと言えば、やはり西郷さんの方だね」と。
 ところで、自分が語る“対象”にあまりに岡惚れしたり、過大評価や神格化をしてもいけない。だが、小沢一郎氏を、端的に表現すると、私は、次のように考える。つまり彼は、「西郷隆盛の『魂』を持ち、同時に大久保利通の『頭脳』を有する政治家である」と。
 しかし、この表現に異論を唱えるのは、誰よりも小沢氏本人であろう。「それは、買い被りです。僕は、そんな大人物ではありません」という沈着・冷静な氏の御声が聞こえてきそうだ。だが、それでも、私はあえて、上記のような“人物表現”をしたいのである。
 彼の著『小沢主義』を読むと、彼の大久保利通に対する、誰にも負けない敬愛の情が伝わってくる。
 小沢氏は語る。「維新の志士たちの中で、僕が最も尊敬するのは大久保利通である」と。
 彼は続ける。「大久保は西郷隆盛、木戸孝允と並ぶ『維新の三傑』の一人だが、策士という印象があるから、けっして人気は高くない。しかし、政治家として見れば、彼は明治の元勲の中でも一頭地を抜いた存在だ。大久保は当時の日本が置かれていた状況を冷静に把握した上で、改革を大胆に推し進めた。その結果、さまざまな抵抗や反発を招き、ついには旧友で同志でもあった西郷隆盛と袂を分かつことになったわけだが、そこでも私情を挟むことなく、日本の独立と近代化のために西郷たちの反乱を断固鎮圧し、近代日本の礎を築いた。この大久保がいなければ、明治維新という大革命も途中で挫折していたかもしれない」と。

 引用が少々長くなったけれど、この文中に、明治維新という大改革のために、大久保利通が、あえて非情に徹したことへの、小沢氏の無上の共感が表われていると思う。端的に言って、小沢氏自ら、あえて“平成の大久保利通たらん!”と考えておられるのかも知れない。
 だがこれは、かつての小泉氏による織田信長との同一視のような、あまりにも自己愛的で軽佻浮薄なものではない。
 何より、小沢氏の文章の中に、ひじょうに重要なキーワードが存在すると思うのだ。それは、「日本の独立」という言葉である。あの福沢諭吉が「一身独立して、一国独立す」と述べた視点とほぼ同様な視座から、福沢をこよなく敬愛する小沢氏は、「日本の独立」ということについて、人一倍腐心していると思う。大久保も、幕末から明治初期にかけて、まさにこの一点にこだわっていたと思える。つまり彼は、吉田松陰や高杉晋作同様、日本を「第二の清国(いわゆる半植民地国家)」にしてはならないと真剣に考えていたと思うのだ。
 実は、「日本の独立」という問題は、幕末や明治期だけでなく、今日的な問題でもある。つまり現在、日本は「真の独立国」と言えるだろうか? まさに半植民地国のようなものではなかろうか? 小沢氏は、そのような視座から、明治初期の大久保利通の業績を正当に評価しておられるように思える。私が本稿で、大久保の「頭脳」というのは、まさにこの点からである。 

 次に、西郷隆盛についてであるが、今まではよく「西郷か、大久保か」という形で論じられてきた。例えば、征韓論か反征韓論か、日本主義か欧化主義か、「富民有徳」か「富国強兵」か、精神主義か物質主義か、あるいは「縄文的」心性か「弥生的」心性か、といった対立的な視点から、両者が論じられてきたと思う。 往々に両者は、単に表面的な差異で対立的に取り扱われてきたと思うのだ。 
 だが、“愛国”という一点では、両者は同一だったと考えられよう。それに何より“私心の無さ”では、両雄は一体だったとさえ言えよう。実際、両者は共通して金銭や物質に対して、きわめて恬淡だった。「子孫に美田を残さず」と言った西郷の言葉は余りにも有名である。だが大久保も、どれほど政府の要職を占めようとも、決して利殖に走ることはなかった。それゆえ、大久保の暗殺後、家族は、利通が残した巨額の借金(当時のお金で8千円)に苦しめられた。その内実は、「殖産興業」政策の遂行の一部に、彼が私財を投げ打ったがゆえであった。
 両者は、表面的な違いにもかかわらず、内実的には、きわめて近い「愛国者」だったと言えよう。
 とくに、西郷は、「人を相手にせず、天を相手にすべし。天を相手にして、己れをつくし、人をとがめず、我が誠の足らざる所を尋ぬべし」と述べている。これは、決して「人を無視せよ」ということではなく、常に「天命」を信じ、それを冷静に待って、しかるのち、自らの責任で果敢に行動せよ、ということだと思う。今までの小沢氏も、まさにこの思いではなかっただろうか。
 また、長くなったけれど、次の点も述べておきたい。司馬遼太郎の『翔ぶが如く』にも描かれているように、豊前中津の藩士増田栄太郎(*彼は福沢諭吉のまたいとこでもあった)は、西南戦争で西郷に殉じようとする理由を問われて、「一日接すれば一日の愛あり、十日接すれば十日の愛あり。故に先生の側を去るに忍びず」と言い残している。
 だが、最近の小沢氏も、まさにこの西郷に近い人柄や品格を備えておられるのではないだろうか。生涯、このような人物に出会えることは、人間にとって、この上ない幸せだと思う。
 小沢氏自身、西郷の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものだ。だが、この始末に困る人でなければ、艱難をともにして国家の大業をなすことはできない」(現代語訳)という言葉を愛しておられる。
 私は、小沢氏自身が、この思いで、今まで実際の政治に関わってこられたと思う。私はそこに、彼の“無心・無欲・無私”の精神を見るのである。小沢氏が“西郷の「魂」を持つ”とは、まさにこの精神ゆえである。
 だが、大久保自身、この西郷の言葉を聞いて、「まっこと、その通りでゴワス」と相槌を打つように思える。
 このように書くと、多分、天界の西郷と大久保に笑われるかも知れない。
 しかし、私には、天界の両雄が、心から小沢氏と若き民主党員の方々の今後の活躍を期待しているように思えるのだ。皆さんは、どう思われるだろうか?【つづく/次回は10月27日(金)に掲載します】


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」3

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

【第3回】(2006.10.13)

 真に勇気ある政治指導者

 ある日、私は母に、政治家の勇気や“忍耐強さ”について訊ねた。「ねぇ、お母さん、勇気や“忍耐強さ”という点で、今の政治家を、どう思う?」と。すると、母は、答えた。
 「今の政治家は、昔の政治家に比べると、勇気のある人や忍耐強い人が、少なくなったような気がするよ。例えば、戦時中、中野正剛(1886~1943)は、東條英機を真正面から批判して、結局、自決に追い込まれたけれど、演説なんか、それは魅力的だったそうだよ。でも、かつての中野さんのような人は、今はいないね。それに、昔の政治家には、『国家』という理念が、ちゃんとあったけれど、今の政治家には、自分の名誉心や功名心しかないんじゃないかと思う」と。
 そして、こう続けた。「とくに若い政治家は、自民党員も民主党員も、功を焦って落伍する人や、人間的な未熟さから馬脚を表わすような人が多い気がするよ。若い方々には、まだ何か“大事なもの”が足りないように思う」と、いささか辛口の批評となった。
 そして、こう付言した。「若手の人々(特に、若い民主党政治家)が、しっかりと 小沢さんの度量の深さや忍耐強さといった“いい所”を見て、もっと学んでほしいと思う」と。  

 私は時折、ほぼ10年前に、2年間ホノルルで研究生活をした日々のことを思い出す。月1度の割で訪ねた遠縁のドロシー・ミヤムラさん(ハワイ生まれの日系アメリカ人2世)がよく語っていた。「今どきの子は堪え性がないね」と。つまり、みんなが短気、短絡的で、我慢することができなくなったというのである。私は、妻と二人で、彼女の言葉を心から頷きながら聴いていた。
 だが、これは現代の日本人についても言えよう。人々がじっくりと“待つ”とか“耐える”とかいうことができなくなったように思える。自らの欲求が即座に充足されなければ耐えられないという人々がおそろしく増えたように思う。たしかに、現代の日本人に“忍耐心”が欠如していることは事実である。それは、「キレル」などという、心も品もない言葉によって明らかである。
 しかし、これは、日本の政治の世界についても言えよう。だが、ここに、例外的な人物がいると思う。それが、本稿の対象である小沢一郎氏である。 

 私は、小沢氏は真に勇気ある“忍耐強い政治指導者”であると思う。周知のごとく、小沢氏をはじめ、東北出身の人々は“忍耐強い”ことで有名だ。とりわけ、小沢氏の今日における民主党党首としての「原点」は、1昨年7月、彼が自由党を解党して民主党と合流する決断をしたことにあったと思える。
 平野貞夫氏によれば、このとき民主党が提示した条件は、小沢氏や当時の自由党員にとって、まことに屈辱的なものだった。要点は、(1)民主党を存続政党とし、自由党は解党する、(2)代表を菅氏とし、執行部も民主党のままで代えない、(3)規約及び政策は、民主党のものを継承する、などであった(『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』講談社より)。まさに、政党間の「吸収合併」である。
 だが小沢氏は、あえてこの苦杯を呑み干した。それは、巷で言う「損して得とれ」という思いからというよりも、むしろ私は、小沢氏は、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」の腹をくくった心境だったと思う。 
 彼は人生の要所要所で、他の誰よりも自分を「無にできる人」ではないだろうか。いや彼は、つねに無心、無欲で、重要な出来事に十分対処できる人なのである。換言すれば、彼にとって、“すべては天命”なのだ。 しかし、小沢氏による自由党解党後、合流先の民主党執行部は、周知のごとく、大きく迷走することになる。そして、菅→岡田→前原といった具合に、党執行部は猫の目のように変わった。

 そのような状況になる前、母がふと私に“予言めいた”言葉をもらした。それは、「今に見ていてごらん。民主党では若手の指導者が立つだろうけれど、きっと経験不足で、にっちもさっちもいかなくなると思う。そしてみんなで、いつかきっと『小沢さん、どうかお願いします』ということになると思うよ」というものだった。 実際、母の言うとおりになってしまった。だが母は、決して占い師でもなければ予言者でもない。 むしろ、母は無類の本好きである。少女時代、本好きが嵩じて、彼女は文学書を親に隠れて押入れの中で読んだ。だが、懐中電灯の明かりで読んだせいで、小学校の高学年で近視になってしまったという女性である。母が少女時代を過ごした家は、電灯の明かりを無闇に使うなど勿体無いという貧しい時代の、貧しい家庭だった。
 そんな母に「最近の愛読書は?」と尋ねると、「『諸君!』(文藝春秋刊)だよ」と答える。かつては『文藝春秋』だったのだけれど、いつの間にか、文章の量が多すぎて本自体も重たく感じるようになったようだ。そんな母の思いにマッチしたのが、量的にもコンパクトな『諸君!』だった。創刊時以来であるから、随分と長い付き合いだ。
 なかでも最初に読む箇所は、冒頭のコラム「紳士と淑女」だという。母は、「それを一番に読み、自分の考えと全く同じだと思うと嬉しい」と楽しそうに答える。だが、このコラムの筆者も、常に小沢氏に対しては“辛口”かつ批判的なようだ。そのたびに、母は「ああ、この人も反小沢派だなと思う」と言う。しかし、この点だけは、母は「同意できない」と強い口調で語る。
 たしかにそのコラムを読んでみると、書き手の“小沢蔑視”、時には“小沢憎し”が濃厚に伝わってくる。コラムの行間を読めば、小沢氏は、昔と変わらぬきわめて権力づくの“マキャベリスト(権謀術数に長けた政治家)”で、中国共産党と密かによしみを通じ合う「売国奴・政治家」のようだ。だが、このような偏狭かつ低劣な「レッテル貼り」を、母は心底、承服できないのだと思う。 

 ところで、森田氏はある講演のなかで次のように語られた。「ブレーキのない社会はブレーキのない車と同じで、きわめて危険である。わが国はブレーキの利かない社会になろうとしている」と。たしかに、われわれ一人ひとりがこの社会の“ブレーキになる勇気”を持つべきなのではないだろうか。 
 現代日本人には、そういった“真の勇気”が求められていると思う。古代の哲学者アリストテレスは、勇気を蛮勇と臆病のどちらにも偏しない“中庸の徳”とみた。彼の師プラトンは、勇気を「畏るべきものと畏るべからざるものとを識別すること」と観た。また彼の師ソクラテスは、勇気を“思慮のある忍耐心”と説いた。 今日、この“思慮のある忍耐心(=勇気)”を最も力強く有する政治家こそ、私には「小沢一郎」その人であると思えるのである。【つづく】 


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」2

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

【第2回】(2006.10.6)

 信頼できる“真の政治家”

 ある日、私は、母に単刀直入に訊ねた。「ねぇ、お母さん、小沢さんって、信頼できる人?」と。すると、母が即答した。
 「私は、信頼しているよ。あの方は、どんなに人から悪く言われようと、弁解ひとつしない。それに第一、他人の悪口は、決して言わない方だね。私は、小沢さんは、今の政治家の中で一番、信義を尊ぶ方だと思うよ。それに、あの方は、確たる『政策』を持っているでしょうが。安倍さんは、”再チャレンジ”と言われるけれど、それこそニートといった、本来チャレンジもできない人々は、一体どうなるの? その点、小沢さんは、なかなかチャレンジできない人でも、希望を持って働けるような、そんな地道な施策をやってくれるような気がするんだよ。若い人たちが将来の展望を開けるような政治は、今の自民党のやり方では無理だね。
 第一、政権が長すぎたね。確かに一時期、下野したことはあったけれど、一年足らずで返り咲いたね。でも、あの時、自民党員は、もっと“苦労”すればよかったと思うよ。そうすれば、その後、国民に対して、もっと“思いやりのある政治”ができたと思う。やはり、小沢先生に一度、国政を司っていただきたいね。私は心から、そう思う」と。
 「だけど…」と、母は突然、口ごもった。「何?」と問えば、母は、「たとえ息子との会話にせよ、私のような草莽の一老婆の言葉を、かねてから尊敬していた森田先生のネットに載せていただくのは、余りにも畏れ多いことと思う」と、つぶやいた。 

 さて、われわれ人間にとって、無論、お金は大事である。だがあえて極言すれば、私は、人間にとって金品より“重たいもの”があると思う。それは、人間間の「信頼感」だと思うのだ。
 かつて、日本人は器用、努力家、誠実と同時に、“信頼に足る”という徳性を持っていたと思う。
 だが戦後、アメリカ(=ユダヤ)的な価値観が導入されて以来、人間間の「信頼」や「信義」が疎かにされた。そして、ただ勝者として勝ち残ればいいという風潮になってしまった。この傾向は、小泉内閣以来顕著となり、安倍内閣になって、今後、ますます加速化される気配さえある。
 「信なくば、立たず」という言葉がある。政治家にとって「生死の狭間」とも言える選挙が、時にはお金の多寡や組織力によって左右される反面、人間(あるいは、国民)による「信頼」が、政治にとって、いかに大事かということを表わす言葉である。
 言うまでもなく、「信」が「信」を呼び、“不信”が“不信”を招くのが、世の常である。つまり、他者から信頼されれば、人は信頼で応え、反対に信頼されなければ、自分も他者を不信の目で見てしまう。この世には、いろいろな人がいるけれど、一つの基準に従えば、その人が“信じられる人”か、それとも“信じられない人”かに大別されよう。

 では、わが国の政治指導者の場合は、一体どうだろうか? 
 いたって正直に述べれば、私は小沢氏は前者で、小泉氏や中曽根氏、それに安倍氏は後者だと思える。無論、これには、異論もあろう。だが、それが軽妙な“ワンフレーズ”であろうと、「美しい」という形容詞だけの、単に耳に聞こえのいい言葉であろうとも、そこに“真実”や“実質”がなければ、聞く人の胸底には響かない。
 それに後者のお三方に共通する性向は、各々が多少の差こそあれ、共通して、自己の言葉に陶酔する“ナルシスト”だということだ。他方、小沢氏は、常に語る言葉を一語一語選び、かつて一度たりとも、自分の語る言葉に酔うなどということはなかったであろう。
 たとえば、彼らの「語る言葉」を文章にすると、おのずとその違いが分かろう。小沢氏の場合、先ずそのままの形で文章になる。だが小泉氏の場合は、ほとんどが感動詞と単語だけなので、もともと文章が成立しない。さらに安倍氏の場合は、飾り言葉や意味の分からない外国語表現が多く、一体何を言っているのかさっぱり分からず、結局、読み手にとって、“文章にならない”といった具合である。 

 ところで、母に、彼女が最近読んだ小沢一郎著『小沢主義』について、感想を聞いた。私が、「どうだった?」と問えば、母は、「この本は、私のような者でも、政策のことがよく理解できるように書かれていて、感動したよ。でも、小沢さんは、理知的であるがゆえに、山川草木“目に見えぬもの”に対する畏れを持っておられるのかどうか…。けれど、人に察知されぬところで大事にしておられる、と信じたい。だけど、この本を読む限り、小沢さんは、政策重視の“真の政治家”だと思うよ」という言葉が返ってきた。
 “真の政治家”という母の言葉は重い。確かに、若い頃から“現場”を熟知し、重視する方であり、かつ「農」に生きる人々をよく知った小沢氏は、「選挙の重大さ」「人々の生活の大切さ」「何より国民のための政治」「国民の意識向上」「国民と政治家間の信頼と連帯」「日本人としての誇りと自信」などの大事さを力説する。
 彼は、本著の中で、「国民のレベル以上の政治家は生まれない」という至言について言及している。そして、「もし、日本の政治が貧困であるとしたら、その責任は他でもない。国民自身にある。僕はそれを言いたい」と断言する。この言葉は、一見酷薄な印象を与える。無論、この言葉の含意は、小沢氏自身でなければ理解できないかも知れない。
 しかし、ここで、小沢氏は、まるで他人事のように“国民だけを”糾弾しているとは思えない。つまり、あえて理屈を言えば、彼自身、その責任ある日本国民の「一人」でもあるのだ。言うなれば、これは、決して単に他者を責める言辞ではなく、むしろ、御自分を含めた日本の全国民に対する”自己批判”の一文でもあると思うのだ。
 そして、先述した「信なくば、立たず」と、常に自らを律して国政に関わってきた政治家は、他の誰よりも小沢一郎その人だったのではないだろうか。私は最近、その思いをますます強くしている。
 何より大事な点は、小沢氏は若き日に、日本の「歴史」に通暁した結果、今後、必ず到来するであろうわが国の未曾有の“国難”を、誰よりも強く、かつ深刻に認識したということだ。若き日に、彼は、自らの眼前に、“何か、大変なもの”を観たと思う。“何か”を実感したと言ってもいいだろう。この認識の深さとその卓抜な想像力は、自民党の政治家諸氏の比ではないと思う。そして、この今後の“国家的危機”に果敢に挑戦し、それを克服するに足る政治指導者こそが、私は、小沢一郎氏自身であると思う。
 彼はまた、貧しく、かつ弱き人々の真の苦しみや“痛み”を充分知っている人でもある。むしろ彼は、この方々と同じ「目線」で、いつも日本の政治を観ている。この感性は、彼が宮沢賢治や石川啄木と同じ岩手県の出身であることと、決して無関係だとは思えない。
 そして、何より彼は、単に若者だけでなく、国民一人ひとりを、心底信頼しているのである。それゆえ本著で、彼は、次のように確言する。「僕は信じる。日本は変わることができる。日本人は自己改革しうる」と。  国民と政治指導者が互いに信頼し合えてこそ、本来の「政治」や「政治改革」が可能だと思うのだ。
 小沢氏は、政治家と国民が互いに信頼し合い、ともに協力・協働できる国づくりを目指している。そして彼は、われわれに、こう訴えているように思えるのだ。つまり、「皆さん、日本を公正な、もっといい国にしていこうではありませんか!」と。私はそこに、信頼できる“真の政治家”を見るのである。(つづく)



ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

政治学博士渡邉良明教授の「小沢一郎論」1

Blog ranking  Ajia ranking   oyajino ranking   Senior ranking
<渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実] >
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[渡邉良明さん(政治学博士・熊本在住)は、政治家論・人物論の大家である。私がこのたび渡邉さんに「小沢一郎論を森田総合研究所のホームページに執筆してください」とお願いしたところ、渡邉さんは快く引き受けてくれた。渡邉さんの温かく鋭い「小沢一郎論」を読んでください――森田実]

【著者紹介】 1949年熊本市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒。東海大学大学院政治学研究科博士課程単位取得。ハワイ州立大学客員研究員(1993~95年)。長い間、都立高校および東海大学政経学部にて教鞭をとる。父の死後、母の介護のために帰郷。現在、研究および著作活動に専念。最近著は『J.F.ケネディvs二つの操り人形-小泉純一郎と中曽根康弘』(2006年9月刊、発行=熊本出版文化会館、発売=創流出版)
-----------------------------------------------------------------
来訪ついでにBlog rankingをクリックしてね~

【第1回】(2006.10.2)

わが母の積年の願い

 私の母(81)は、大の「小沢一郎ファン」である。それも、20年以上も前からのものだから、決して半端ではない。まさに、“本物の小沢信奉者”の一人だと言える。正直言って、母は、隠れた「小沢党党員」とさえ言えよう。
 その母に、「小沢さんのいいところは、一体どんなところ?」と訊ねると、開口一番「あの人には、誤魔化しがない」という返事が返ってきた。
 「それだけ?」と、あえて冷たく問い直すと、母はこう語った。
  「小沢さんは、周囲の人たちから随分と誤解されてきたと思うよ」と。そして、こう付言するのだ。「権力にすり寄ろうとする政治家たちが甘い汁を求めて、小沢さんに近づいたのだろうけれど、あの人は、決してそんなものを安直に与えるような安っぽい人じゃないよ。それで多くの人が、きっと離れていったんだと思うとタイ」と、ちょっと熊本弁が出た。
 母からすれば、小沢氏は、今までの(あるいは、かつての)「利益誘導型」の政治家ではない。その点では、小沢氏自ら「田中のオヤジ」と呼ぶ田中角栄とも明らかに異なる政治家だと言えよう。
 いたって正直な感想を言えば、私には、政治哲学の深遠さと政治スケールの大きさで、小沢氏は田中氏をすでに“超えている”ように思える。つまり彼は、単に代表的な党人政治家であるに留まらず、あくまで「国民本位」(あるいは国民重視)の、徹底した“国民政治家”になろうとしているように思えるのだ。歴史的に言えば、“平民宰相”と呼ばれた原敬(たかし)を思い浮かべればすればよい。それと同時に、小沢氏は、国民の政治意識の覚醒や向上を求める“本物の”政治指導者だと言えよう。

 根っからの苦労人である母は、その厳しい「心眼」で“本物の人間”“本物の政治指導者”を見極めているのかもしれない。その母の積年の願いは、「小沢さんにぜひ一度、政権を担当してもらいたい」というものだ。
 そう願う母の心は若い。手前味噌になってもいけないけれど、そんな母を見ながら、私はふとサミュエル・ウルマンの次の言葉を思い出した。ウルマンは言う。 
「青春とは、人生のある期間をいうのではなく、心の持ち方をいうのだ。人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる。希望の有る限り若く、失望と共に朽ちる」と。  母にとって、小沢氏による今後の「政権担当」は、まさに“希望”そのものであり、第二、第三の「青春」でもあるのだ。 

 正直なところ、私は、小沢一郎氏の“本質”は未だよく分からない。かつてミハイル・ゴルバチョフやJ・F・ケネディ、それにマハートマー・ガンディーといった“本物の”政治指導者を探究してきた私にとって、現代日本の政治家は、石橋湛山以外、ほとんど魅力のない人々だった。実際、私は、現代日本の政治から“逃げていた”のかもしれない。
 そんな私に“現実”に目を向けさせたのは、今年1月、熊本市での森田実氏との邂逅だった。氏は講演の中で、「地方や弱者を切り捨て、そのうえ高齢者まで犠牲にするような小泉政治は間違っている。それにブッシュ政権のお先棒を担いで、中国と再び戦争をするような過ちを犯してはならない」と強調された。森田氏の愛国の至情に心から共感した私は、この度、拙著『J・F・ケネディvs. 二つの操 り人形 小泉純一郎と中曽根康弘』を上梓できた。

 その森田氏が心底信頼しておられるのが、現在の「小沢一郎氏」である。森田氏は、小沢氏の“純粋さと真面目さ”、政治家としての強い自覚と高いプライド、それに人間的な“強さ”、さらには、彼の“反骨の精神”を力説する。同時に、小沢氏と、彼の薫陶を受けた若き政治家達の礼儀正しさや誠実さも強調する。これらの美徳は、現代日本人が今日、失いつつあるものだ。思うに小沢氏は、何より国民の幸せと、我々の政治的「覚醒」を求める“本来あるべき政治指導者”だと言えよう。ちなみに、9月25日に検査入院された小沢氏が、翌日の臨時国会で元気な姿を見せられた。多くの方々と同様、内心、小沢氏のことが気懸かりだった私にとって、近年、これほどに嬉しいテレビ画面はなかった。
 実は、私の母も、知らず知らずのうちに、森田氏とほぼ同じ思いで小沢氏を信頼し、かつ尊敬しているのだと思う。この絶対的な信頼感の上に立ち、母は、「小沢さんに、是非一度、政権を担当してもらいたい」という積年の願いを抱いているのだと思えるのだ。そう語る母は、私に、まるで少女のように明るい笑顔を見せてくれた。(つづく)


ジャンル違いだからこそ、今日もクリックの程、宜しくお願いします。
皆様のクリックの御蔭で、各ランクが上位に位置します。有難う御座います。
アジア&一人旅   アジア    オヤジ     シニア  
10位   3位      16位       5位         2位 

読み朝る毎ブロガー同盟 「安倍のなにがなんでも教育基本法」ならばAbEndバナー その情報が誰によって流されているか?

 | HOME | 

本日の名言

プロフィール

エルミタ

Author:エルミタ
ブログの普及で真実を探求する事が出来る様になった。
歪曲されたテレビ報道・新聞5大全国紙報道に洗脳されん様に真実を探究し、ブログを通して時の権力者達へ物が言える様に成った。
真実を報じないメディアは不要と考え30年購読してた新聞はキャンセルした。
世の中のインチキ&イカサマ等に付いても取り上げて行きます。

ブログランキング

FC2カウンター

エルミタ

期たる時の為に忘れてはならない。 私利私欲を最優先した傀儡議員たち。

コネズミが絡む売国策捜査


あけてビックリ給与明細。 此れも小泉インチキ改革の副産物です。 top_futanzo.gif
  • 植草一秀氏冤罪売国策逮捕を解く
  • インチキ構造改革B層ターゲット

    植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日越えて勾留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー

  • 小泉純一郎の研究…ビックリ 読み朝る毎ブロガー同盟 その情報が誰によって流されているか?

    真実を伝えるサイト

  • 植草一秀の『知られざる真実』
  • ユダヤ&創価の悪戯を暴くRK
  • 森田実の日本の未来を切り開く
  • MyNewsJapan
  • janjan
  • アクセス ジャーナル
  • アールニジュウゴ

    国内のインチキ検証ブログ

  • 晴天とら日和
  • 世に倦む日日
  • 復活!三輪のレッドアラート!
  • 自公政権打倒のために集まろう
  • 左往来人生学院
  • 五十嵐仁の転成仁語
  • エクソダス2005《脱米救国》
  • 夢想飛行-伝統的保守へ
  • 在野のアナリスト
  • よらしむべし、知らしむべからず
  • Aoの偶感
  • POLITICS & ELECTION NEWS
  • 紆余曲折七転八倒!武田健太郎の日記
  • ★マチコの日記
  • 山崎行太郎の毒蛇ブログ日記
  • らくちんランプ
  • らんきーブログ
  • 反戦な家づくり
  • いわいわブレーク
  • ぬぬぬ?
  • とりあえずガスパーチョ
  • カナダde日本語
  • わんばらんす
  • 風に吹かれて
  • 棒に怒る日本人
  • 酔夢ing Voice
  • Irregular Expression
  • 株式日記(ブログ版)
  • 国際情勢の分析と予測
  • ジャパン・ハンドラーズ
  • 暗いニュースリンク
  • 田中宇の国際ニュース解説
  • 灼熱(HEATの日記)
  • 副島隆彦学問道場
  • 浮遊雲日記
  • 日本人が知らない真実
  • 悪はタブーに棲家をつくる
  • ★遊牧民★のメディア棒読み!
  • 耐震強度偽造問題リンク集
  • 頑張れ藤田東吾
  • ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古!
  • 米流時評
  • 主要な経済情報
  • 経済コラムマガジン
  • きっこのブログ
  • ムネオ日記

    海外のインチキ検証サイト

  • 9.11事件の真相と、その歴史的な意味の深層に迫る!!
  • 9.11のイカサマ…WTCタワー
  • 9.11ボーイングを探せ
  • イラクの現地レポートを翻訳で報告
  • ホロコーストの疑問

    最近の記事

    最近のコメント

    最近のトラックバック

    カテゴリー

    月別アーカイブ

    バロメーター

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    ブログ内検索

    RSSフィード

  • 上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。